新連載をはじめるにあたり


ご無沙汰しております。

このたび、週刊文春で新連載「ストーカーと七百日戦争」をはじめます。

517日売り、つまりいま売っている号からです。

欄外には以下のメッセージをつけてあります。毎号載せていただくことになります。

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この連載は筆者が実際に被害に遭ったストーカー事件(脅迫罪で逮捕、示談成立後不起訴処分の数か月後にインターネット掲示板へ書き込みあり、IPアドレス特定後に刑事告訴、名誉棄損等で懲役十カ月の実刑判決) の詳細です。ストーキングが依存的病態の一種であり、精神科医やカウンセラーによる専門的な治療で再犯の危険性が下がるにもかかわらず、治療につながらない現状を変えたい一心で、筆を執っています。ご理解のほど、よろしくお願いいたします。

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スペースの関係上このようになりましたが、補足を兼ねてもう少し詳しくこちらに書きたいと思います。しかし筆を起こしてみたものの、様々な想いが渦巻き爆発しそうになり、書ききれません。すこしずつ加筆訂正していくかもしれません。よろしくお願いします。



最初の被害から二年が経とうとしています。

その間、仕事を思うようにすることができませんでした。住居を変える、警察、検察、裁判所、町役場など公的機関に出頭する、などなど物理的に対応しなければならなかったことも数多くありますが、恐怖と驚愕体験の数々が脳内に居座っていて、原稿に集中することが非常に困難だったのです。意地で平静を装い続けてきたわけですが、それもかなりの精神力を必要としています。


自分に降りかかった出来事、この事件にかかわってくださった公的機関の方々の対応方法や態度(新鮮でした)、刑法というシステム、そして人の心の脆さ弱さ。すべてがこれまでの人生では思いも寄らないことばかりでした。被害者というものが、こんなに不自由さと齟齬を感じて生きねばならないことも、全然知りませんでした。

それというのも、ストーカー事件の被害者自身の声を聴く機会が非常に少ない。加害者の逆上や復讐を恐れてのことと思われます。


嫌がらせを受け続けているとき、なんとか解決の方法はないのか、もがき探るなかで、ストーキングは、本人が辞めたいと思ってやめられなくなる、依存的病態であることを知り、ものすごく納得したのです。そして専門の精神科医の治療によって執着が取れる可能性が高いということも知りました。刑に服したとしても、出所してから被害者に再び執着する例も少なくない中で、被害者は常に怯えて暮らさざるを得ません。仕事や住居を変える人もいます。私の場合は書くことが職業であり、さらに細かく言えば、自ら体験したことをノンフィクションやエッセイという形で発表しています。どこに住んでどんな暮らしをしているのか、隠すことは不可能でした。

治療で執着がとれるならば、無害化するならば、被害者はどんなに安心でしょうか。


それでもストーカーに警察や検察、司法、どこでも、治療命令を出すこともほとんどないというのが現在の状況なのです。加害者に税金を使うのかという意見もあるそうです。けれども、加害者ケアは、被害者ケアと表裏一体であります。そして再犯防止対策になるのですから、どうか無駄とは思わないでいただきたいのです。

 すこしでも世間の人に、治療の必要性を知っていただきたい。被害を受けた人間が、ずっと隠れ続けたり、これまでの仕事や人間関係を断たれたまま生き続けなければならない理不尽さを、知っていただきたい。そして、事件以前の執筆生活を取り戻すために、執筆脳の可動域を取り戻すために、私自身が持ちかけているこの事件への執着を捨てるために、書くことを決めました。



 書くことが、あなたを守る。

 

 そう言って励ましてくださったのは、小説家の桐野夏生さんです。現在新聞小説連載「とめどなく囁く」で挿絵を担当させていただいています。深く感謝しております。余談ですが挿絵を描く脳はどうも別部署らしく、非常に楽しく描かせていただいております。彷徨う主人公女性に深く共感していることももちろん大きいです。

 原稿を書き出してからの数か月物凄く悩み、一時期本当に連載以外のことに手が付かず、猪と鹿の処理場の建設までアタマが回らず、遅れてしまっていること、深くお詫び申し上げます。なんとか作業再開しました。詳しくはモーションギャラリーのHPに書いております。


そして以前からのお約束で月刊小説宝石に、小豆島八十八か所霊場を歩いてまわるルポの連載も始めておりますが、原稿が遅れ気味で、こちらも本当に申し訳なく……。しかし宗教的なものと断絶していたこの私が、真剣に祈らにゃ、やってらんない状況になっておりますので、こちらの原稿も真剣です。


最後に、小豆警察署の皆様(人事異動で今は別の署にいる方も含め)、掲載を快諾即断してくださった週刊文春の新谷学編集長および、編集部の石井一成さん、豊田健さん、諸々相談に乗ってくださっている弁護士の藤吉修祟先生、カウンセラーの小早川明子先生、そして応援サポートし続けてくださっている島内外の友人全員に、深く感謝申し上げます。読みやすさを心がけ、なんとか最後まで書き切りたく、死力を尽くしますので、打ち切りにならないよう、応援の程よろしくお願いいたします。


# by riprigandpanic | 2018-12-10 17:34 | お知らせ

ヤギになりたい!!


またまたご無沙汰しております。すみません。
こちらの本も、随分前に読み終わっていたのですが、感想を書く時間が取れず。でした。

今年こそは仕上げたい仕事ばかりで、あたまがいたいです。

もういっそヤギになりたい。

そう思う人がこの世に私以外にいたのかと驚いた次第です。

とはいえ作者は最初は象になろうとしていたみたいですが。
大きさと、そして象はストレスを抱える動物らしいということで、
ヤギが選出された。ヤギになって人間の悩みから解放されたい。
ヤギと同じもん食べて、同じように4足で歩いて、
そして人間固有のくよくよしちゃう脳機能のスイッチを切れば
ヤギに近づけるんじゃね?

という素敵な発案を
愚直に実行に移してゆくトーマス。

例えば、私たち哺乳類は進化の過程で分化したけど骨の数も名前もほとんど一緒だ
とかいう話、私は解剖学者の本で読んだのかな、感心/感動/納得してしまう言葉です。
反芻動物の、第一胃の中には、たくさんの微生物がいて、それが草を消化吸収できる栄養素に分解してくれるというのも、
その一つ。胃の中に牧場があるようなものだと。
それはもちろん科学的に立証された厳然たる事実に基づいた比喩である。でも、
上記のような言葉になることで、一つの完結した物語になってしまう。知的感動を呼ぶ装置発動、みたいな。
発言する科学者は、もちろんそんなつもりもないし、彼らは科学的な思考を常備しているから
一般の読者がそれをどう受け取っているかなど、斟酌しないだろう。そう、受け取る側の問題です。
私たちはネズミも人間も骨がおんなじというところだけ、ヤギの胃の中には草を消化できるすごい微生物がたくさんいるという
ところだけを切り取って、引き出しに入れてしまう。そして考えるのを終わらせてしまう。
まあ、科学者じゃないから仕方ないかと思わなくもないけれど、それでも知らないよりはマシとも思っているけれど、
科学的読み物を読むたびに、この途切れてしまう感じに、もやっとしていた。

トーマスは、そこを引っ掻き回して、無理やり発展させて仮説を作る
だったら草をヤギの第一胃の中の液に浸したら、人間も消化吸収できるようになるんじゃね?と。
ものすごく乱暴だけど、そうだよそうだよ、トーマスよく言った、と嬉しくなって
大笑いしながら読んでしまった。


最先端の研究施設を訪ね、研究者の協力を得て、
自分の身体を使って彼の考える「ヤギ」に近づいていくトーマス。あんまり近づけなかったとも言えるけど、
それはつまり、人とヤギの間には、ものすごーーーーーい違いがあるってことに、他ならない。
それがわかることは、私個人にとってはちょっと切ないことでもあったけど。

作中トーマスの行動で一番羨ましかったのは、アルプスのヤギと1日一緒に歩いたこと、でしょうか。
私も歩いてみたいなあ。二足歩行で十分ですけど。

ヤギの生態について書かれた日本語の本、すごく少ないです。
トーマスは随分ヤギについての資料を読んでいて、端々にヤギの生態についても触れられています。
ヤギ飼いの方も是非。村井理子さんの訳文もとても楽しくわかりやすいです。

それから余計なお節介かもしれないけれども、もし
人間のくよくよした悩みを忘れたければ、ヤギと一緒に寝るのも一興です
(トーマスにもお勧めしたい)
だんだんヤギっぽくなってきて、いろいろなことを忘れて、
人間の世界に帰れなくなってしまいそうになりますけど。
それでよければ。。。


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# by riprigandpanic | 2018-01-17 11:55 | ほんっ

おっぱいがほしい!

えー。
東京新聞、北海道新聞などの朝刊
 で八月から

桐野夏生さんの小説「とめどなく囁く」連載がはじまりました。
じわじわと怖くて目が離せない展開となっております。
挿絵を担当しております。よろしくお願いします。

そして猪と鹿の処理場建設、八月九月は大変でした。
何度か高松に資材や設備を買い付けにも行きましたし。
それで一日潰れますからね。私の軽トラには冷房もないので。
おかげさまで建屋はだいたいできました。

そして工事が佳境に入った頃、山羊のカヨが三度目の出産しました。

毎日の肉体労働が多く、疲れすぎていて、記憶も飛びがちです。
しばらく読書からはなれていました。ま、健康ではあります。とにかく眠い。
いろいろ送本していただいてるのに、積みっぱなしです。
すみません。ごめんなさい。メールの返事も遅れがちです。
「タラブックス」を読んだらすこし脳が読書に戻ってきました。

というわけで
『おっぱいがほしい!-樋口毅宏 新潮社
小説家樋口毅宏さんの育児エッセイ読みました。

面白かったです。地上波にあんまりチャンネルを合わせない私でも、
樋口さんのパートナーである三輪記子さんを何度も見かけてて
あーこりゃ樋口さんが嬉々として
そしてへとへとになりながら子育てをしているのであろうと
思っていたら、そのまんま予想は当たりでした。
御疲れ様です。

育児ネタについてはそれなりに意識して読むようにしているので
大変さなど、驚くことはなかったです。
ただ、最近知ったんだけど、知らない人が意外と多い。
「卒乳・断乳」の話題を出したら出産育児経験のない女性たちが
え、なんですかそれ?みたいな反応になり、仰天しました。
いちおう人類がどう生まれて育つのか、現代日本社会において
役場だの教育機関だの病院だのとどんな手続きをしながら
どんな成長過程を歩むのか。そして育てる人間がどういう
プレッシャーや困難にさらされるのか
というのは、必携の知識だと思う。
でないと困難を軽減してみんなで負担する政策に反映できないし。


常にだれでも目に付くところで誰かが話していてほしいと思いますし、
男の人の育児もまだまだ珍しいのでどんどん書いてほしい。

私は子供を産みたかったと思ったことは限りなくゼロに近いし、
産まなかったことを後悔することもほとんどない人間ですが、
子どもが嫌いなわけでもないし、むしろ好き。
女の人がこどもをもっと子供を産める社会になってほしいと
心の底から思っている。

ただひとつだけ。
子育て出産にまつわる発言で
母性の正義、礼賛、そして優位を語られると
げんなりしてしまう。
どちらがいいとか悪いとかいう問題ではないし、
母性が毒に転じる危険だってあるのに。

出産をしないと一人前ではないというスタンスで語られると、
埋められない溝を感じてしまう。

出産をしない女性が、一切ノータッチで出産育児のことに背を向けて知ろうとしないのも
上記の、それも結構無意識な押し付けに遭うのが嫌だからなのではないか。

そこで本書である。

その手の押し付けは、なるべくしないように配慮されている(樋口さんはそういうのに敏感なひと)。
家族愛とか苦手な人も、この本は割と大丈夫かと。人それぞれですけど。

多少?かなり偽悪的ではある(ひぐち作品の特徴。『日本のセックス』を読んでから本書を読む方がいいかもしれない)

男性の目線から育児作業が描かれるので、とてもフラットに大変さが伝わる。たぶん女性は「女だからできてあたりまえ」という気負いと葛藤がどこかにあるのかもなと思いました。ま、経験者じゃないからいろいろ読んだだけの分析だけど。

パートナーの三輪記子さんの破天候ぶりを読むと、産んだら自由を奪われるとかそういう不安を抱えているひとは
たぶん救われて、自分も協力してくれパートナーを見つけて産んでみるかという気になるかもしれない。保証はしないけど。
『母および妻』という圧力から、自分をいかに守るのか。それは戦いなのだと、彼女の行動から学べるかもしれない。保証はしないけど。

三輪さんに於かれましてはさらなるめちゃくちゃな武勇伝を更新していただきたいと、個人的には思っております。

御二方、さらなるご活躍を。

発売からかなり時間たっててすんません。





# by riprigandpanic | 2017-10-10 09:31 | ほんっ

タラブックス

「タラブックス」を読んで思ったことを徒然に。

http://www.genkosha.co.jp/gmook/?p=13808



印刷や製本部門もある、インドの小さな出版社の営み

手漉きのコットンペーパーにシルクスクリーンで刷られた少部数絵本がどうしても注目されがちだけど、そうではない本も刊行している。



本作りに関わる人間ならば、誰でも考え続けていることだろうと思うけれど、書物は中身とデザインを含む造りと、部数のバランスが肝要。タラブックスの代表者の二人、ギータとV.ギータのインタビューからそこにこだわっていることがよく伝わってくる。

日本の多くの商業出版(どのくらいのレベルかというと、いささか古い定規ですが、トーハン日販の流通に乗るくらい)の場合、本の汎用型のようなものにテキストやデザインをはめ込んで作っているようにも思え、それに疲れ(出版不況になって以降は特に)、疑問を呈する人たちが、タラブックスの本にある種の理想郷を見るようだけれど、

日本にも様々な規模の本を作る人たちがいて、一人出版社もあれば、限定手製本をきっちり作る人もいるし、ずっと以前からいたし、時代の趨勢はあっても、アーテイストブックからミニコミまでいろんな「本」があったし、あり続けている。

私はむしろそれらメジャーな商業出版以外の、ひとり出版社とかアーティストブックとか、手製本とか、ミニコミでもいいんだけれど、そんなところで作られる本たちが、タラブックスのような、世界のいろんなところにファンを持つくらいの吸引力なり熱量なりを持つ本を作ってない、もしかして作っているのかもしれないけれど、話題として届いてこない、もしかしたら世界相手に売り出してないだけかもしれないけど。それか私が知らないだけであるのかな。いやあったらそもそもこの「タラブックス」はこんな書かれ方をしないだろう。

それは一体何故なんだと考え込んでしまったのでした。

彼女たちの従業員への温かな視線、対等に、ノンヒエラルキーでという気持ちだとか、大量な発注が来ても増資も増員もしないとか、そういう働き方の姿勢も実に心地よいのだけれど、一番響いたのは、すべての作り手との対話をものすごく丁寧に行っているというところ、かなあ。それが足りない、のかなあ。国内外問わず多くのアーティストブックに多発する、本にするという必然が見えないのは、これのせいなのかなあなどと考えてみたり。


で、タラブックスを羨むよりは、今の日本で、一冊でもバランスのいい、手の温もりと熱意のこもった本を作りたいと、思った方がずっといいと思うのでした。

と言いつつ、現在の私は獣肉屋さん目指して土木工事の真っ最中なのですが。でもまた本を作りたい気持ちが湧いて来て、我ながらびっくりです。

小豆島でもタラブックスの展示があります。ご興味ある人はぜひ。

# by riprigandpanic | 2017-09-18 20:46 | ほんっ

ご報告

かなり前のことになりますが。
滅多にやらない講演をいたしました。

日本豚病臨床研究会 第37回総会 第72回定例会

2017年5月19日 14:00~

「世界屠畜紀行」「飼い喰い」を通して


豚の獣医の先生方がメインの会でありました。

人前で喋るのもパワポも得意ではなく
仕事ものろいため
基本的にはお断りしている講演ですが、
とてもいい刺激を受けました。やはり少しはやらないとだめですね。

一応これまで考えてきたことをまとめてみたりできたので
よかったです。

関係者の皆さま、本当にありがとうございました。

"我々"とくくっていいのかわかりませんが、
畜産の世界に足を突っ込んだ人間全員が、
一般消費者に対して抱える(抱えなきゃならないというか)

豚とトンカツの間をどう埋めるのか、どう伝えるのか

日々直面し、子供たち向けの授業をしている先生もいらしていて、
頭下がりました。
色々考えさせられました。

小豆島でわな猟をしながらヤギ五頭飼っていますと、講演にでることは
ホントーーーに難しいのですが。。。
また機会があったら(予定が合えばとも言いますが)
してみたいと思いました。

# by riprigandpanic | 2017-08-10 09:13 | お知らせ