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仏ヶ浦の記録

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三十年ほど前には仏ヶ浦に陸上からたどり着く道はなかったような気がします。
(今のようにきっちり検索しきれないのではっきりしません)
記憶違いかもしれませんが。
北側の佐井漁港からの遊覧船に乗って行きました。佐井漁港までは車でした。
通常乗客は20分ほど仏ヶ浦を散策してそのまま同じ遊覧船に乗って漁港に帰ります。
一日何便出ていたのか、私は船員さんと交渉して次の便が来るまで仏ヶ浦で一人でいたいと主張。
当時はまだ女性一人旅は自殺するのではと嫌がられていたので良く要望を聞いてくださった。
で、一旦船が出て行ってから一時間?二時間?静かな仏ヶ浦でぼんやりしていました。
仏ヶ浦の奇岩はスケール大きく、ちょっと日本離れしているようにも思えます。

歩き疲れ、山を背に岩を眺めようと座る場所を探していて、窪みのようなところに
行きました。天然の祠のようになっていて石塔がが祀ってありました。
で、その脇にカモシカがいたのでした。
祠をねぐらにしていたのでしょうか。若くはなさそうな風情。そっと近づいても逃げず、
石塔を挟んで並んでしゃがみ、奇岩を眺めることとなりました。
野生の反芻動物と相対した時の感覚はなんとも言えないもので、カモシカはぼやーっと
反芻しながら急にビクッと私のを方を見て、や、何者??となるのですがまた
ボやーっと反芻。を次の船が来るまで繰り返してました。

野生の反芻動物との二人きりになることなんてなかなかないことで
忘れ難い経験となりましたし、
恐山を見てから行ったことも手伝いこの世から半分浮いたような感覚を味わいました。

令和になって、地図を見てみると、
仏ヶ浦へはすぐ山の上まで道路ができて、くねくね折れ曲がった下りの遊歩道も出来てました。
当時道があったらすみません。なかったような気がします。船でしか行けないと言われた記憶があります。
で、その道は通行止めでした。そして恐山からだと南の脇野沢漁港に行く方が近いと小島さん。
フェリー「夢の平成号」があると。平成号。うーんこれは三十年前にあったのかもしれません。

しかしこのフェリー、いや高速船くらいの大きさで、ものすごく揺れました。海が荒れていたようです。
瀬戸内の穏やかな海に慣れていた身にはキツかった。しかしその甲斐あって下北半島西岸の岩肌をつぶさに眺めることが
出来ました。揺れて撮影はほとんどできませんでしたが。赤いところがあれば急に白くなったりと、
いくつかの岩が混成しているようで、小豆島の岩の成り立ちと同じくらい複雑そうで、非常に興味深かったです。
岩の解説ツアーがあればいいのにと思いました。

仏ヶ浦の大きな奇岩を眺め、三十年前にカモシカと過ごしたくぼみを探したのですがなかなか見つからず、
もしやあれは私の壮大な記憶違いなのではと焦りました。が、なんと遊歩道が祠の真ん前を通っていて岸辺から
見えなくなっていたのでした。奇岩を眺めていたカモシカは、どこで死んだのか。子孫たちはまだ下北半島を
闊歩しているのでしょうか。
うちのヤギたちが寝台の上に乗って風に吹かれて気持ちよさそうに反芻しながら遠景を眺めているのをみると
仏ヶ浦のカモシカを思い出します。
景色を眺める愛でるという行為は、人間だけのものではないのかもしれない。


そんなわけで北からと南からと仏ヶ浦を目指したこととなり、図らずも下北半島の西岸を制覇したことになりました。
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by riprigandpanic | 2024-09-16 09:45


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