人気ブログランキング | 話題のタグを見る

恐山の記録


すでに十日も経ってますが、
恐山、仏ヶ浦、寺山修司記念館と行ってきました。
恐山と仏ヶ浦には三十年くらい前に行ったことがあります。特に仏ヶ浦は再訪してみたいと思い返す場所でしたので
小島慶子さんから恐山に行きませんかとお誘いを受けた時、
仏ヶ浦にも寄りましょうと二つ返事で行くことにしたのであります。

で、私は上記の新書を読むまで恥ずかしながら知らなかったのですが、恐山は曹洞宗の管轄なのでした。意外な組み合わせです。
どっちかというと密教系なのかなと思っていました。

小島さんのご縁で恐山菩提寺院代である禅僧で著者である南直哉氏に境内を案内していただきました。
本堂に大量に持ち込まれる花嫁人形(冥婚の風習が令和になっても残っている衝撃。。)などから感じられたのは、
死者の気配ではなく、大事な人に死なれてなお生き続けている人たちの死者への念でした。
残され生きている人たちが死者をあらしめ、恐山をパワースポットたらしめていると。
南氏のお言葉によれば恐山はパワーレススポットなのだそうです。
死んだ人を求める気持ちほど普遍的なものはありません。でもその気持ちを素直に出せる場所はそう多くない。
恐山ほど死者が生きているかのように生々しく思い浮かべ対話しても赦される場所はないのかもしれません。

さて宿坊に宿泊すると、夜10時まで外湯に入りに行くことができます。入山料を払ってお参りした人も6時までなら入れます。
これがなかなかすごかった。
賽の河原に見立てた石がゴロゴロしているところに唐突にポツポツと四棟、木造の小屋が建っており、
昼間は参拝客が通る場所でもあるし、三十年前に来た時には入る勇気が出なかった。むしろ夜の方が行きやすい。
とはいえすぐそこは賽の河原に見立てられた荒野(境内だけど)に刺さった風車がカラカラ回っていて、地蔵菩薩像がすっくと立っていらっしゃる。
いくら死者の気配を感じない私でも、強烈だなとはやはり思うのでした。
女湯二つ、男湯一つ、混浴一つ、男性客が一人だけだったこともあり、時間をずらしていただき、四つ全部入らせてもらいました。
四つそれぞれ少しずつ泉質が異なるそうで。男湯が一番熱くて濃かった気がします。

ところで恐山と言えばイタコの口寄せ。寺院とは雇用関係なく、大祭の時に山にやってきて勝手に店開きします。
これは三十年前から聞き知っておりました。記憶に間違いなければ外に座っていたはず。そこにずらりと行列ができていた。
それがイタコさんの高齢化に伴い、なんと専用の建物が建っていた。しかも私たちが行った日にはイタコさんが一人来ていた。

南氏に「どうですか」と言われましたが、私が思い浮かべる死者は皆、私に呼び出されても「はあ?あんた誰だっけ」というリアクションしか
しないのではないか。せっかく呼び出してもらってそれでは情けない。と変な自虐が湧いて遠慮したのでありますが
下山してから今や希少な日本のシャーマンに会って話せる機会だったのだから、捨て身でチャレンジしてもよかったのではと思ったりもしました。





by riprigandpanic | 2024-09-16 00:18


<< 仏ヶ浦の記録 ヤギと雑草と私 >>