共同通信社にエッセイというか短い文(いや、新聞としては長いのかも)を寄稿させていただきました。まず中国新聞で配信になったようです。ありがとうございます。
各紙が買ってくれて配信…されるといいなあ。 通信社に寄稿するのははじめてなので、とてもおもしろいです。新聞に寄稿したりインタビューに答えたりする場合、掲載日がずれることはよくあるのですが、今回は、いつどこに載るのかが文字通りわからない。 共同通信が配信したものを買うかどうかは、各紙の判断にゆだねられるからです。 というわけで、見かけたら教えてください。あ、もちろん記者の方からも教えてもらえるのですが、中国新聞掲載は、ツイッターで読者の方がつぶやくほうがはやかった。。 で、何を書いたのかというと、四月にタイに取材に行ったときにタイ人通訳と話したことから今回の洪水までのことであります。まあ内容は、新聞に掲載されたものを読んでいただくとして、 タイの取材は、「世界屠畜紀行」の第二弾の取材のために行っていたので、屠畜場を回っておりました。エッセイでは屠畜の話がメインではないのですが、話のつながりとしてどうしても必要なところでしたので入れました。で、原稿を書き上げて送信したところ、担当記者のTさんから、電話をいただきました。新聞社の規定として、「屠畜場」は「差別語・不快語」に当たるので、記事として記者は書けない。しかし筆者が社外の者で、強く希望する場合には押し切れますと。ただその場合、「屠畜場」という言葉が記載してあるという理由で、配信記事を掲載しない地方新聞がでてくる可能性はありますが、どうされますか、と。 驚きました。正直。 いまだにそんなこと言ってるのかということではなくて、真逆です。 「差別語」に関しては、雑誌であっても機械的に「決まりなので」と訂正される事が多い案件で、こんなに丁寧に対応してくださることは、あんまりないんです。ものすごく嬉しかったです。あ、もちろん「世界屠畜紀行」の連載記事などは別ですよ。 そしておもしろいことに、本のタイトルは直しようがないので、プロフィール欄には著書に「世界屠畜紀行」と書かれるわけです。それは掲載可能(笑)。 さあ「屠畜場」を「食肉処理場」と直すべきかどうか。 迷いましたが、「食肉処理場」に直しました。 屠畜場という単語は、エッセイの流れ、導入としては必要なのですが、主旨に関わる単語ではありませんでした。それで、掲載紙が限られる可能性を高めるのは、やはり嫌でした。主旨は全然違うところにあって、まあひらったく言えば、どうにもならない災害をひっかぶったときに人はどうすればいいのかということで、一応新聞媒体を意識して、たくさんの人に読んでもらえたらと思って書いたのですから。 ひっかかる気持ちがゼロというわけではないですが、それではどうしても「屠畜場」でなければならないと思っているかというと、これがうまく説明できるかどうかわかりませんが、そうでもないんですよ、これが。私個人として、「屠畜場」を使うことにした経緯自体も、まよいつつ、はじかれつつ、という部分もあります。「世界屠畜紀行」を書く前には、自分の脳内のこれまでの言葉の蓄えには、「屠殺」という言葉がまずあった。ただ、取材をすればするほど、「殺」という文字を使うことに抵抗がでてきてしまった。今になってよく考えれば「屠場」にするという選択肢もあったのかもしれない。「と畜」が行政用語だったことも、ありましょう。 ただ、他の人がどうしても「屠殺」という言葉を使うのだと主張したら、それを「使うべきではない」とは私の立場からは、やはり思えない。みんなそれぞれ言葉はその人の決意と責任をもって使えばいいと思ってしまうので。 屠殺、slaughterを他の言葉に言い換をすることに関しては、「世界屠畜紀行」の第二弾でも書いていますが、他の国でもやっています。差別語だからという流れではなく、「虐殺」とのダブルミーニングになっている言葉(英語以外にも)が多いためのようです。slaughterは、現在はほとんど現場で使われてません。meatpackingが主流です。 言い換える事でこれまでのイメージは払拭される。でも言葉というのは、たとえ言い換えたとしても、どう使われるかで、また嫌なイメージも簡単についてしまう。その繰り返しです。 先日こんなものを友人から教わりました。やっぱりいい気持ちはしませんよ。そりゃ。 国内にものすごく傷つけられて来た人たちがいるのを承知で、それでもあえてこういう使い方をしたいという気概もおもしろさも必然もなんにも感じられないから。試聴の限りでは。 ただおもしろがっているように私には思える。 「食肉処理場」も不快語にしてしまえという意図? http://t.co/EcI8iCuY #iTunes それでもなんでも殺人と屠畜を一緒にするひとはあとを断たないし、いなくならないでしょう。 で、それを差別だからやめろと言うのは違うんじゃないかとも、思うのです。 むしろ自分がまずやらねばならないのは、第一に心がけたいのは、どんな言葉を使ってでもいいから、動物を絶命させて食べる肉にするところを、食べるという行為の一環として思い浮かべる事ができるようになってもらう事かなと。ネガティブなイメージを消すのではなくて、ポジティブなイメージやフラットなイメージをもっと増やせばいいということです。そしたら「屠畜」でも「食肉処理」でも、たぶん「屠殺」でも、差別的な響きは減るんではないかと。甘いですかね。 んーなんだか眠いのでちゃんと書けたかわかりませんが、そんなことです。 九十年代には何度も「書き換え」「描き換え」を、新聞社、出版社から強制されました。 何度かつっかかってみたら、ホントに仕事を切られかねないような脅迫まがいなことを言われたこともあって、そのときは本当に悔しくて、「世界屠畜紀行」を書くきっかけの一つにもなったわけですが、長く取材してこのことについて考えれば考えるほど、本心としては「どれ使ってもいーか」な心境に近くなってます。奇妙な事ですけど。小説ならばまた違うのだろうけれど、ノンフィクションだから、言葉の響きや韻を気にするわけでもないし、字面のビジュアルも気にしていない。気になるのは読みやすさだけだから。はっ、エッセイはもう少し言葉の響きにも自覚的にならねばならないのかもしれなかったか!! 冷汗。 でも「屠畜」に限らず、全員のコンセンサスがとれる言語なんて、ないしなあ。 ともあれ、共同通信のTさんには、改めて御礼申し上げます。選ばせてくださったこと、感謝します。ありがとうございました。
by riprigandpanic
| 2011-11-03 03:28
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