人気ブログランキング | 話題のタグを見る

もっと読みたかった

 文學界に発表された『癌だましい』『癌ふるい』山内令南 

癌だましい

山内 令南 / 文藝春秋


 まさに私にとってはストライクど真ん中の小説だった。前者の冒頭に書かれる食道癌末期の描写を読んだ瞬間に、そうそうこれこれ、これが読みたかったんだと武者震いした。小説の完成度とか、そういうのはどうでもよくなるくらい、(いや、欲を言えばもっともっと長く書いてほしかったんだけど)ここに描かれている世界が、好きだ。

 部位とステージが違うけれど自分も一応広いくくりでは同病であることが、理由の一つではある。初期で癌を見つける場合、体内に癌があることにほとんど自覚症状がない。とりあえずはとっちゃったけれど、もしあのまま育てていたら、いったいいつごろから、どんな具合に「むしばまれている」という実感を持つのか。それがどう変化していくのか。身体の不自由が増していくのか。ああもうダメだ、とどの時点でなるのか。何度思いを馳せたことか。

 それらを周りからの視線ではなく、当人が自分の身体を動かし、該当器官を働かせることで感じる不自由、痛み、苦しみが、克明に描かれている。著者自身が食道がんで逝去されたのだから、小説に描かれているような末期の過ごし方を本当は選ばなかったにせよ、選んでいたにせよ、それはどちらでもいいのだが、その痛みや苦しみは著者自身が体感したものなのだと思う。しかし実際に痛みを得たからといって、誰もがそれを「そのように」書けるわけではない。痛み苦しみの描写は難しいのだ。これは自分も一応は痛い目にあったからよくわかる。ここまで書けなかったなー私は。痛みの度合いは比べようがないんだが、それなりに痛かったはずなんだが。痛くなくなって元気になってから書いたとはいえ、書けなかったのは、自分の文章力の欠如としかいいようがないなあ。

 とはいえ、痛み苦しみが克明だからというだけでは、それほどひきつけられない。そこまで、と思うくらい苦しみながら、徹底的に冷静に痛むからだを突き放して見ている視線が壮絶にして凄惨で、共感といえば聞こえはいいが、正直に言ってしまえば、わくわくしたのだ。しましたとも。

 残りの時間を惜しみあう家族や知人もなく、介助の手もなく、周りから心理的にも隔絶し、そんな自分への憐憫の感情の欠片もなく、ただひたすら食べることをやめない彼女が、すさまじくかっこよかった。まさにそうありたいというか、そうなるであろう自分の未来の姿だった。まあじぶんは弱虫だから、泣きごとは言うかもしれないけれど、ひとりで死んでいくことには変わりはない。
いや、もし誰かがそばにいたとしても、結局は死ぬときは人はひとりで死んでいくしかないのだ。どんなにいい痛み止めが認可されて、処方を受けられたとしても、痛みや苦しみを避けようにも、完全には避けられないのかもしれないし、はたまたせん妄が進んで自失して下種なことを叫びちらして死んでいくのかもしれないし。

ともかく人は死んでいく生き物なのだ。

それを残り僅かの時間をかけて、全力で剥き出しに書き表してくれた著者に、心から感謝したい。願わくば、『癌ふるい』の最後の文章にいたるまでの心境を、もっと詳しく知りたかった。ぽつりと置いて行かれた気持ちになる。
自分で探せと著者に言われているような気がしてならない。
by riprigandpanic | 2011-08-25 21:57 | ほんっ


<< 少女漫画の話になると長いね 週刊誌、書店にまだあるかなー。 >>