島の美味いもの

またもや間が空きましてすみません(←決まり文句……にしないようにがんばります)

たまには小豆島っぽいことを。

小豆島といえばオリーブ。

ってことで、イズライフさんのオリーブ農園に行って参りました。
農園主の堤さんには島内各所でお目にかかっていたのですが、
「小豆島産オリーブ100%のオイルを作ってる方らしい」くらいの認識で。

やっとお店の場所が「ここか!!」とわかったところで
(引きこもってるわけではなく、運転の上達が遅いため)

うちにYさんが山羊を連れてきてくださって、
いろいろあって
Yさんと一緒に農園を案内していただくことになり。
お客さんが来てはじめていろいろ行けますわ。
(もちろん農園までの運転はYさん)

いんやー、美しいとこでした。

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こちら堤さん。

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こちら養育中の若木オリーブ

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で、オリーブオイルの味は、
初手がかなり軽くて、中でごつっと土の味がして、後味が甘い。
です。後味が衝撃です。

そうめんゆでて、塩とこのオイルかけて食べると最高でした。
すだちすらもしぼりたくないくらい、オイルが美味い。
お店はこちら
他の国のオリーブオイルも扱ってました。


で、塩は私の狩猟若師匠(本業は塩屋の波花堂)夫妻がが作ってる『御塩』。これ期間限定なのかな?無印で販売するらしいです。
ぜひぜひよろしく。しっかりした味です。
そうめんにも合いますが、鹿肉につけても美味かった。

ここでそうめんを美しく撮った写真があればいいんでしょうが、
そんな芸もヒマもないんで、適当に想像してください。



ヤギのことはツイッターに親バカさらしてます。
そのうちこちらでも。
いっそヤギの写真ブログにしてもいいかなあっつうくらいヤギ愛溢れてますが、
愛玩ではなくあくまでも使役したいと思っております。
ただ飼って太らせて食べる、から、
習性を見ながら利用しながら多少は働いていただくという
ちょっとだけ複雑なミッションへ。
馬には足元にも及びませんが。

馬に乗るってのは、すごいことです。
(なぜか締めは馬で)
# by riprigandpanic | 2014-08-22 23:26 | 小豆島

生きております

またもや間が空きましてすみません(←もはや決まり文句になりつつあり)

小豆島に移住しました。
毎日DYYに追われています。今度の家はホームセンターまで一分、というわけにもいかず、
一時期は毎日島の中心部土庄にあるホームセンターに通うという具合でした。

しかし人間あれこれ学ぶもので、千葉にいるときよりは大工仕事が上達しているように思え。

さて前回のブログに書いた アクト・オブ・キリング 以来しつこくインドネシアが気になっており、つい書評会議で入札して、先週ご紹介したのが、
「性を超えるダンサー ディディ・ニニ・トゥオ」

性を超えるダンサー ディディ・ニニ・トウォ

福岡 まどか / めこん



えー、あんまり映画と結びつけて書くのもどうかと思うので書評では短評でしたし触れませんでしたが、インドネシア、行った事はあるけれどそれほど詳しくない、大多数がムスリムなのだが中東とはずいぶん気質が違うというくらいの認識の人間にとって、あの映画はともかく衝撃でした。ずいぶんどころかまるっきり違う。

で、衝撃のひとつが、ヘルマンがなぜ女装して出演するんだ??というもの。


発言からしてヘテロセクシャルでマッチョな、でも外見は上島かマツコかみたいなヤクザの若頭みたいな人が、公に女装姿を撮らせる。これに頭かかえました。いや、本人が嗜好として楽しむならまだわかるというか。楽しませるためにやるのだとしても、たとえ本人がギャグ?を愛するひとだったとしても、ギャグも結局は土地の文化に根ざすものだし。イランでやったらと考えるだけでゾッとするわけで。アラブの春以前のエジプトででも、想像できない。いや私個人は見るの好きなんですけどね。

こちらの本で
ジャワ宮廷の舞踊や舞台に女形の伝統があったこと、そして現在独自のやり方で国際的にも国内でも活躍する女形のダンサー(華人系でプロテスタント)がいるということを知りました。それ以上は類推にすぎませんが、こういう国民的なスターがいてコメディも演じて、美しいダンスも披露して国民が楽しんでいると。なるほどそれならヘルマンの女装もわかるか……と、自分なりに納得したわけです。

本書でも附属DVDのインタビューでも、彼の私生活の性については触れられず、ただイスラム色が強くなればなるほど、女形として舞台に立つことへの難しさもあるようなのだけど、本人はあまりそこすらも強調しない。むしろ華人として受けた1965年の迫害についてを語る姿、華人の血を引く者であることをあえてカムアウトした上で、さまざまなルーツがまざるインドネシア人としての矜持を語る姿の方が、ずっと前面に出ていて。あーやっぱりそっちなのですねとシンとした次第。

こうやって少しずつ断片的にだんだん他国の別の面が見えてくるのも悪くないもので。
そのうちゆっくり旅してみたいです。

インドネシア、もうすぐ選挙です。
# by riprigandpanic | 2014-07-08 11:06 | ほんっ

"ACT"の闇鍋セラピー

またもや間が空きましてすみません(←すでに決まり文句になりつつあり)

なんとか引っ越し先が決まり、準備と仕事の整理などでバタバタしているところですが、二回も見てしまった映画があります。すでにたいへん話題になっております。

アクト・オブ・キリング

イメージフォーラムで大ヒット上映中

いろんなひとの感想や映画製作にまつわるエピソードなどを拾ってたんですが、膨大すぎて時間がなくなってきたので、映画をどう見たかを中心に書きます。あらすじ、映画の感想、その後のことなど、こには貼りませんが、興味あるかたは、ご自分で探してみてくださいませ。

1965年、インドネシアで起きた共産主義者虐殺というか粛清について、加害者に当時どのように人々を手にかけたのか、虐殺の模様を演じてもらう様子を撮った映画です。

そもそもトラウマとなったことを演じさせるセラピーというのは、被害者のためのものと思っていた。

加害者が演じるとどうなるのか。加害者は嬉々として虐殺の思い出を語り、こうやって殺したものさと身体を動かし始める。ここだけで脳天を撃ち抜かれるほど驚くのであるが、演じては映像をチェックし、こんなものではなかった、もっとこうだったと、より「リアルに」演じていくのである。なんというか、演技(ACT)の泥沼。そこで加害者に心境にどんな変化が起きるのかが、一応映画の柱となっている。

千人は惨殺したという加害者にしてこの映画最大の協力者、アンワル・コンゴに向けられるカメラの状況は、主に三つに分けられる。
1当時を再現して演じているとき。
2自分や誰かが演じているのを見ての感想を求められているとき。
3 誰かが演じているところを横で見ているとき。

1は明らかにカメラの前で演じるわけだからいいとして、問題は2。アンワル自身、カメラが自分に向いてることを自覚している。このときに彼が発する言葉を、そのまま「彼の真実」として受け取っていいのかに、悩んだ。結論としては、いまだ半信半疑。いや、用意されたセリフを言ったと思っているわけではないんだけど。

どうにもどこからどこまでが演技なのか、演じているうちに本人自身がわからなくなってるんじゃないかと思うのである。もちろん観る側もわからなくなっていく(ように編集されてるとも言える)。終わるころには演技なのかリアルなのか、もう大混乱(だから二回観た)。

かつて一度だけカメラを向けられドキュメンタリーを撮られたときのことを思い出すのだ。長くカメラを向けられれば向けられるほど、どこかでカメラに応えようとする自分がでてきてしまう。
カメラと、カメラの向こうにいるディレクターがどういう質問を投げかけたのは、作品に反映されないことは、多いけれど、問いかけ次第で、いやディレクターとの人間関係、いや表情や態度ででも、でてくる言葉も表情も、変わる。私の場合ディレクターが二人いたため、嫌でも実感してしまったのだった。

さらにカメラの向こうに誰がいるか、ここに立てだのあっちからこう歩けだの変な音が入っちゃったからもう一回、などと指示されることでも、出てくる言葉は、やっぱりどこか演技になっていく。それが私はなんとも嫌で嫌で、恥ずかしくて、むきになって「感動的な言葉なんて絶対言うもんか」となったんだった。逆に発動する人も、当然いるだろう。

それが悪いとか間違っているというわけではなく、そうやって作らなければ、ノンフィクションだろうがなんだろうが、映像作品は成立しない(いや、するのもあるかもしれないけれど、ものすごーく観る側に負担を強いる映像になるだろう)のではとも思う。
この映画に関しては「演じているところを撮る」ことで、よりカメラの前に立つ人が演じてないときも演じているように見えるのだ。いや、やっぱり演じてる?

それがすごく面白い。
演技という行為は、観客に見せて観客になんらかの心的変化を生じさせるもんだと思っていたけれど、役者の心身にも、演ずることで変化は起きるのだと、改めて思い知らされ、役者ってずいぶん面白い職業だなあとはじめて思った。

しかし。
私が一番魅入ったのは、一回目に観たときから、3なのだった。これが断然面白い。自分にカメラが向けられていると意識せずに、ディレクターからの問いかけもなく、ただ誰かの演技を横で眺めているアンワルやヘルマン(現ギャングの頭)やアディ(もうひとりの虐殺者)たちの、なんとも言えない表情。ときには画の中心にすらいない、たまたま映ってるようなときの、表情のゆらぎ。当時のことを思い出してるのか、なんなのか。微妙に歪む。暗く翳る。うしろめたいのか、記憶に引き込まれるのか、単に気まずいのか、わからないけれど、落ち着かない瞳。
 
 撮影を取り囲む群衆の表情もすごかった。笑いながら、怖がっている。わずかに引きつり、歪む笑い。自分にカメラが向いてないと思っているときの、さまざまな人によぎる表情に、数十年前の虐殺の、そしていま君臨するギャング集団への恐怖の大きさが、見て取れて、なによりもゾッとしたのだった。どんなセリフよりも回想よりも、リアルに重苦しく迫る。
 百万という人々が虐殺された、3桁、4桁の人々を虐殺した、その後を生きる人たちの、なにげない暮らしや笑いに潜む暗闇。

 いまだに気になるのは、アンワルたちが撮りたかった虐殺再現映画の全貌が知りたいってことだ。ちゃんと撮り終わり、編集し、公開したのか。本映画では、その映画のメイキングを撮ると言って回していたカメラの映像をフルに使って作られているのです。

彼らが映画で何を伝えたかったのか、謝罪ではなく正当化であることは、映画を見ていれば一目瞭然なのであるが(加害者は謝罪をするべきなどと言い立てたいわけではない。これまでの立場とトラウマを乗り越えての本当の反省と謝罪には時間がかかるだろうし。直接の加害者だけを矢面に立たせるのは、どうかと。むしろそれをいうなら当時のインドネシア政府のみならず、アメリカや日本政府の関与についてどうするかとか、もっと大きな視点で語られ続けねばならない)。

それと「ヒットする映画には娯楽も必要」ということで挿入しようと撮影した、なんとも突き抜けたインドネシア独特?の色彩センスやダンスシーンが奇妙にシュールで美しくて、あれをアンワルたちが、どうまとめ映画に仕立てたのかが、大変に気になるのである。

にしても悪趣味加減も大いに含めて、ジョシュア・オッペンハイマー監督、実に恐ろしすぎる才能の持ち主であります。

 
# by riprigandpanic | 2014-05-11 16:12 | ほんっ

本日売り?の

AERA現代の肖像で、取り上げていただきました。

ライターは横田増生さん。

ありがとうございました。

これから読みます。
# by riprigandpanic | 2013-12-02 16:55 | お知らせ

トークしてきました。

水没携帯は、一応蘇りました。ドキドキしてますが。

さて日曜日。
内田春菊さんと渋谷 丸善ジュンク堂でトークさせていただきました。

だれか写真ください……。なぜか私の携帯に残ってません。

内田さん、着物にギターを背負っていらっしゃいました。
素敵でした。

逆立ちしてもでてこない色気と艶に、悩殺されました。
見習いたいものです。

話はかたずけよりは人間関係の方に寄りぎみで。
いろいろ勉強させていただきました。
今後に役立てたらいいなあと切に思うのでした。

内田春菊さん、ありがとうございました。
# by riprigandpanic | 2013-11-28 01:17 | どうでもいい日常