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マタイと羊とあーし

さいたま芸術劇場までバッハのマタイ受難曲をききに行ってきた。復活祭の前日の土曜日に。
バッハ・コレギウム・ジャパン
BWV244全曲

バッハ・コレギウム・ジャパン
一年くらい前に教会カンタータをききにいったんで二回目。

あーしはクラシック音楽は特にくわしくないし古楽マニアでももちろんないんですが
耳がイカれて以来電気を通して音を大きくするコンサートにはいきにくくなってしまったんで、ほそぼそした楽しみとして。

以下覚書 

さいたま芸術劇場、結構いいぞ。行き帰りの閑散とした感じがいい。チケットもとりやすいし。うちから初台に出かけるのとたいして変わらないし。オペラシティはなんだか飲食店が並んでいるんだけど、全然入りたいところもないし、あの帰り道は一人で歩いてるとちょっと憔悴する。でも与野本町は本当になんにもないから、どっか入りたいのに入りたいところがない、という感じにはならない。いっそこっちのがいいよ。

気になった歌手


第一群アルトのマリアンネ・ベアーテ・キーラントの声がとてもよかった。なんか太くて。
そして第二群アルトの青木洋也は対照的にとっても細い声なんだけど、歌い方がとても繊細で美しかった。カストラートなんですね。きっと人気者なのでしょう。51番レチタティーボ52番アリアがすばらしかった。
第二群テノールの水越啓の34番レチタティーボ、35番のアリアも良かった。気にとめたこともないアリアなんでしたが。

バッハ・コレギウム・ジャパン旗揚げの初演のときはアルトがデビューしたばかりの米良美一だったとネットで拾ってへーえと驚きました。

家ではよーわからんままにフルトヴェングラーのマタイ受難曲を十年以上きいておりまして、足の悪い老人が屋根裏でごとごと歩きまわっているような、陰鬱なひきずるようなリズムが脊髄反射みたいにあたまにはいってんで、なんだか全体にとてもさわやかな感じがいたしました。39番のアリアなど早い気すらしましたが、それはおそらくあーしのペースがフルトヴェングラーだからなのでしょう。古楽器だと思われるものも入っててこっちのが元の感じにちかいのかなあとも思ったり。で、福音史家はちと軽かったような気もしますが。


しかし復活祭あたりにマタイ受難曲。いい感じですね。十二月に仮名手本忠臣蔵を見るようなもんです。あ、受難曲というのは、イエスキリストがつかまって処刑されて埋められるまでの受難を歌曲にしたといえばいいんですかね。はいこれから復活しますってところで終わります。詳しくはwikiってください。福音史家がナレーションの役割で、イエスキリストとかユダとか何人かの登場人物がいて、ストーリーが進んでいきます。オペラじゃないんで劇はないです。たぶん一番よく耳にするのは39番のアリアで、「サクリファイス」のラストシーンでも流れます。憐れみたまえ、わが神よ、てやつ。
バッハの初演は1727年の聖金曜日。四月十一日。ライプツィヒの聖トマス教会にて。キリスト教史に暗いあーしは、この当時のプロテスタントが謝肉祭から肉絶ち斎戒をしていたのかどうかもちと心もとないです。ううう調べなきゃ。

ヨーロッパの肉食がどんなふうにとらえられてきたのかを考えるのに、聖書を読みたいと思いつつ、あれがねえ、どう頑張っても退屈になってまともに読めないんですわ。原罪という概念もまったく心当たりなくて(笑)。罰あたりならよく実感できる(自分のことだからな)んだけどなあ。違うでしょ?たぶん。共感薄いものはなかなか読めませんわ。とほほ。
該当箇所を拾い読みしてるだけではどうにもならんのだがなあと思ってて、まあ雰囲気を味わうならもちっと大衆向けに受け入れやすくなってる受難曲とか教会カンタータはいいかもしれんと思って歌詞をたどりながら聴いてるわけです。

パンフレットにはドイツ語(これ現代ドイツ語とかなりちがうような気がしますが、大学で齧っただけなので忘れているんでなんとも)と日本語対訳(指揮で代表の鈴木雅明によるもの)がつき、さらに聖書どこどこ参照とか、このことばはルターが翻訳するときに付け加えたものとか、注釈もついている。すごく面白い。カンタータの時もそうだった。バッハ・コレギウム・ジャパンは今世界的にも評価されているそうなんですが、これ日本語で読みながら聴けるのは僥倖だなあ。

よき羊飼いとか犠牲の子羊とか
羊Lammがでてくるたびに、考えるのはただひとつ
「屠所にひかれゆく羊のように」という表現です。
むちゃくちゃ嫌がるのを無理矢理、みたいなときに使われますが、
屠畜場がそんなにとんでもなく嫌なところなのか、と、
日本では使ってほしくないと思い意思表明している人がいて
差別表現として版元が自粛している現在。

で、そもそもこの言い回しから西洋人がどういうイメージを連想するのか
を知りたいと思ったわけです。
おまえはそんなに教養がないのかといわれそうですが、だってないから。この表現を使った日本人の書き手は、きっと聖書を読破しているのだろうけれど、読み手はなあ、聖書の世界観がデフォルトで頭に入ってる日本人ってどれくらいいるんだろうか。

受難曲の歌詞をたどりながら聴いていると犠牲の子羊がキリストの隠喩なんですね。

O Lamm Gottes, unschuldig Am Stamm des Kreuzes geschlachtet
おお、神の子羊、汚れなき 十字架の上に屠られた

だもんなー。
それってあたりまえのことなんですかね。そこまで考えた事がなくて。
そうするとあの言葉はただ単に嫌な場所に連れて行かれるのとはすこし意味合いが違ってくるような気もしますけど。
それとまあきっと絶対だれでも羊を犠牲に捧げることはできたでしょうしねえ。
日本の屠るという言葉を巡る感覚とは、やっぱりかけ離れてると思います。

そして犠牲の豚はいないのよね。それはユダヤ教が豚肉食を禁止していたからなんでしょうけど。
以下羊をめぐる話です。

先日海の外のあるところで、まだちいさな子羊をつぶしてもらいました。あーしが抱っこできるくらいのやつ。そこでも自家屠畜がいりーがるなんで、あまり具体的には書けません。引っ張って来る時はたしかにちょっと嫌がるんですけど、四肢を投げ出すようにして座らせると信じられないくらい大人しくなってなんの抵抗もなくちょこんと座ってるわけです。一応後ろからもこもこの毛を掴んで押さえていたんですが、抵抗ゼロ。とてつもなくかわいらしいのです。

うー眠くなったのでつづきはまたあとで。

あ。ドイツ語部分にミスタッチありまして教えていただいたんで直しました。
by riprigandpanic | 2010-04-04 22:56 | ほれぼれ,岡惚れ

もう四月か

あら気が付いたら四月です。

どうしたらいいんでしょうか。


原稿書きの能率をもっと上げないといけませんねと
足のねん挫も大分よくなったのでよがスタジオに行きました。
能率を上げるためですから。

これまでわざとちゃんとよがのことを書かないようにしてましたが、

ただいまどの流派のよがをやるのかをさ迷い中です。

アシュタンガ
ヴィンサヤ
パワーヨガ

このみっつでね、やること微妙にじゃなくて結構違うわけです。んーと、でも、下向きの犬のポーズがベースポーズになってるところは同じかな。
もちろん先生でもやり方はどんどん違うけど。
自分でためして感じたことを書いてるだけだから、ただしくはないとおもいますからね。ケチつけないでくださいね。

いちばんゼイハー系なのはアシュタンガで、筋力もつきがっつり汗もかけますが、ひとつのポーズがすげえ早いからなんか芯に来てる感じがすくないような気がする。それとなぜかチャンティングが義務なんすよ。お祈り嫌いなあーしとしてはそれがどしても嫌なのですわ。
で、ヴィンサヤはどっちかっつうと体幹のみえないところの筋肉と流れを大事にする。ひとつひとつのポーズもすごくゆっくりじっくりとる。そして先生によって教え方にすごーく振れ幅があるのだ。どのポーズをどの順番でやるのかも先生によってかなり違う。お祈りも先生次第。いつでもどこでも時間の空いたときに適当に行きたいあーしとしては、むう。帰りたくなるときも、実はある。
アシュタンガならどの先生についてもホントにやることがなにからなにまで順番も同じなのはホントに助かる。ニューヨークだろうが受講すりゃ言語の壁なくすいすい出来るとおもう。ニューヨークのジョーが通ってるよがスタジオでヴィンサヤ受講したときは、やっぱりやりにくかった。
アシュタンガは順番はまだ完全には覚えてないけどハーフプライマリーならとりあえずはついて行ける。しかし完全に覚えたらたんなる反復行為に近い感じがして飽きる可能性もあるのだアシュタンガ。

で、いちばん宗教色のないのがパワーヨガなんすけど、なんかねー、物足りないレッスンが多い。んーーー。いえ、ただ先生運がないだけなのかもしれないし。

どれにしよーかなーと、K先生が某スタジオをやめてから三つを並行してやってんだけど、ポーズのポイントがあまりにも違うんで、そろそろひとつにしぼりたい。

よがはもう呼吸と身体のバランス調整にとどめておいて、もうちょっと暴れる運動をしようかと真剣に検討中。それならK先生のクラスに行けるしなあ。
なにしろなんだか呼吸器とか循環器を思い切り死にそうになるくらい使いたいのだ。使ってくれと身体がいうておる。チバではとにかく毎日くったくたになるまで何かしていたからなあ。よく原稿書いてたと思うくらいくったくただったからなあ。要するに物足りないのだ。セメントこねたり柄杓で汚水を汲み上げていた(毎日)ときは地獄じゃあとか思っていたけど、重くて死にそうだったけど、それくらい動いていないと嫌みたいなんだよなあ。筋肉的には。心理的にはあんな重労働はまっぴらごめんなんだけどなあ。

極真空手でもやろうかしら。
ちなみにランニングは、都内の景色が嫌いなのでやりません。皇居をぐるぐるしてるとかいう人々が信じられません。北海道とか、鎌倉の山道とか走るんならやってもいいんだけどなあ。先日は長谷の山を早歩きしたらすっきりした。北鎌倉の駅から長谷海岸まで一気に。あーしの大好きなコースですわ。県立近代美術館から建長寺を通って家までってのも結構好きだし、葉山の山の中を早歩きで歩き回るのも好きだ。たぶん前世が天狗なんだろう。

あれ、どこだっけなあ、取材しててここならランニングを日常にやってもいいというところがあったのだが。忘れました。
ちなみにエエ市は歩道の整備がまったくなってないため、ランニングをやろうにも轢き殺されそうでできませんでした。田舎だからできるというわけではありません。
by riprigandpanic | 2010-04-02 19:26 | どうでもいい日常