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生きております

またもや間が空きましてすみません(←もはや決まり文句になりつつあり)

小豆島に移住しました。
毎日DYYに追われています。今度の家はホームセンターまで一分、というわけにもいかず、
一時期は毎日島の中心部土庄にあるホームセンターに通うという具合でした。

しかし人間あれこれ学ぶもので、千葉にいるときよりは大工仕事が上達しているように思え。

さて前回のブログに書いた アクト・オブ・キリング 以来しつこくインドネシアが気になっており、つい書評会議で入札して、先週ご紹介したのが、
「性を超えるダンサー ディディ・ニニ・トゥオ」

性を超えるダンサー ディディ・ニニ・トウォ

福岡 まどか / めこん



えー、あんまり映画と結びつけて書くのもどうかと思うので書評では短評でしたし触れませんでしたが、インドネシア、行った事はあるけれどそれほど詳しくない、大多数がムスリムなのだが中東とはずいぶん気質が違うというくらいの認識の人間にとって、あの映画はともかく衝撃でした。ずいぶんどころかまるっきり違う。

で、衝撃のひとつが、ヘルマンがなぜ女装して出演するんだ??というもの。


発言からしてヘテロセクシャルでマッチョな、でも外見は上島かマツコかみたいなヤクザの若頭みたいな人が、公に女装姿を撮らせる。これに頭かかえました。いや、本人が嗜好として楽しむならまだわかるというか。楽しませるためにやるのだとしても、たとえ本人がギャグ?を愛するひとだったとしても、ギャグも結局は土地の文化に根ざすものだし。イランでやったらと考えるだけでゾッとするわけで。アラブの春以前のエジプトででも、想像できない。いや私個人は見るの好きなんですけどね。

こちらの本で
ジャワ宮廷の舞踊や舞台に女形の伝統があったこと、そして現在独自のやり方で国際的にも国内でも活躍する女形のダンサー(華人系でプロテスタント)がいるということを知りました。それ以上は類推にすぎませんが、こういう国民的なスターがいてコメディも演じて、美しいダンスも披露して国民が楽しんでいると。なるほどそれならヘルマンの女装もわかるか……と、自分なりに納得したわけです。

本書でも附属DVDのインタビューでも、彼の私生活の性については触れられず、ただイスラム色が強くなればなるほど、女形として舞台に立つことへの難しさもあるようなのだけど、本人はあまりそこすらも強調しない。むしろ華人として受けた1965年の迫害についてを語る姿、華人の血を引く者であることをあえてカムアウトした上で、さまざまなルーツがまざるインドネシア人としての矜持を語る姿の方が、ずっと前面に出ていて。あーやっぱりそっちなのですねとシンとした次第。

こうやって少しずつ断片的にだんだん他国の別の面が見えてくるのも悪くないもので。
そのうちゆっくり旅してみたいです。

インドネシア、もうすぐ選挙です。
by riprigandpanic | 2014-07-08 11:06 | ほんっ

"ACT"の闇鍋セラピー

またもや間が空きましてすみません(←すでに決まり文句になりつつあり)

なんとか引っ越し先が決まり、準備と仕事の整理などでバタバタしているところですが、二回も見てしまった映画があります。すでにたいへん話題になっております。

アクト・オブ・キリング

イメージフォーラムで大ヒット上映中

いろんなひとの感想や映画製作にまつわるエピソードなどを拾ってたんですが、膨大すぎて時間がなくなってきたので、映画をどう見たかを中心に書きます。あらすじ、映画の感想、その後のことなど、こには貼りませんが、興味あるかたは、ご自分で探してみてくださいませ。

1965年、インドネシアで起きた共産主義者虐殺というか粛清について、加害者に当時どのように人々を手にかけたのか、虐殺の模様を演じてもらう様子を撮った映画です。

そもそもトラウマとなったことを演じさせるセラピーというのは、被害者のためのものと思っていた。

加害者が演じるとどうなるのか。加害者は嬉々として虐殺の思い出を語り、こうやって殺したものさと身体を動かし始める。ここだけで脳天を撃ち抜かれるほど驚くのであるが、演じては映像をチェックし、こんなものではなかった、もっとこうだったと、より「リアルに」演じていくのである。なんというか、演技(ACT)の泥沼。そこで加害者に心境にどんな変化が起きるのかが、一応映画の柱となっている。

千人は惨殺したという加害者にしてこの映画最大の協力者、アンワル・コンゴに向けられるカメラの状況は、主に三つに分けられる。
1当時を再現して演じているとき。
2自分や誰かが演じているのを見ての感想を求められているとき。
3 誰かが演じているところを横で見ているとき。

1は明らかにカメラの前で演じるわけだからいいとして、問題は2。アンワル自身、カメラが自分に向いてることを自覚している。このときに彼が発する言葉を、そのまま「彼の真実」として受け取っていいのかに、悩んだ。結論としては、いまだ半信半疑。いや、用意されたセリフを言ったと思っているわけではないんだけど。

どうにもどこからどこまでが演技なのか、演じているうちに本人自身がわからなくなってるんじゃないかと思うのである。もちろん観る側もわからなくなっていく(ように編集されてるとも言える)。終わるころには演技なのかリアルなのか、もう大混乱(だから二回観た)。

かつて一度だけカメラを向けられドキュメンタリーを撮られたときのことを思い出すのだ。長くカメラを向けられれば向けられるほど、どこかでカメラに応えようとする自分がでてきてしまう。
カメラと、カメラの向こうにいるディレクターがどういう質問を投げかけたのは、作品に反映されないことは、多いけれど、問いかけ次第で、いやディレクターとの人間関係、いや表情や態度ででも、でてくる言葉も表情も、変わる。私の場合ディレクターが二人いたため、嫌でも実感してしまったのだった。

さらにカメラの向こうに誰がいるか、ここに立てだのあっちからこう歩けだの変な音が入っちゃったからもう一回、などと指示されることでも、出てくる言葉は、やっぱりどこか演技になっていく。それが私はなんとも嫌で嫌で、恥ずかしくて、むきになって「感動的な言葉なんて絶対言うもんか」となったんだった。逆に発動する人も、当然いるだろう。

それが悪いとか間違っているというわけではなく、そうやって作らなければ、ノンフィクションだろうがなんだろうが、映像作品は成立しない(いや、するのもあるかもしれないけれど、ものすごーく観る側に負担を強いる映像になるだろう)のではとも思う。
この映画に関しては「演じているところを撮る」ことで、よりカメラの前に立つ人が演じてないときも演じているように見えるのだ。いや、やっぱり演じてる?

それがすごく面白い。
演技という行為は、観客に見せて観客になんらかの心的変化を生じさせるもんだと思っていたけれど、役者の心身にも、演ずることで変化は起きるのだと、改めて思い知らされ、役者ってずいぶん面白い職業だなあとはじめて思った。

しかし。
私が一番魅入ったのは、一回目に観たときから、3なのだった。これが断然面白い。自分にカメラが向けられていると意識せずに、ディレクターからの問いかけもなく、ただ誰かの演技を横で眺めているアンワルやヘルマン(現ギャングの頭)やアディ(もうひとりの虐殺者)たちの、なんとも言えない表情。ときには画の中心にすらいない、たまたま映ってるようなときの、表情のゆらぎ。当時のことを思い出してるのか、なんなのか。微妙に歪む。暗く翳る。うしろめたいのか、記憶に引き込まれるのか、単に気まずいのか、わからないけれど、落ち着かない瞳。
 
 撮影を取り囲む群衆の表情もすごかった。笑いながら、怖がっている。わずかに引きつり、歪む笑い。自分にカメラが向いてないと思っているときの、さまざまな人によぎる表情に、数十年前の虐殺の、そしていま君臨するギャング集団への恐怖の大きさが、見て取れて、なによりもゾッとしたのだった。どんなセリフよりも回想よりも、リアルに重苦しく迫る。
 百万という人々が虐殺された、3桁、4桁の人々を虐殺した、その後を生きる人たちの、なにげない暮らしや笑いに潜む暗闇。

 いまだに気になるのは、アンワルたちが撮りたかった虐殺再現映画の全貌が知りたいってことだ。ちゃんと撮り終わり、編集し、公開したのか。本映画では、その映画のメイキングを撮ると言って回していたカメラの映像をフルに使って作られているのです。

彼らが映画で何を伝えたかったのか、謝罪ではなく正当化であることは、映画を見ていれば一目瞭然なのであるが(加害者は謝罪をするべきなどと言い立てたいわけではない。これまでの立場とトラウマを乗り越えての本当の反省と謝罪には時間がかかるだろうし。直接の加害者だけを矢面に立たせるのは、どうかと。むしろそれをいうなら当時のインドネシア政府のみならず、アメリカや日本政府の関与についてどうするかとか、もっと大きな視点で語られ続けねばならない)。

それと「ヒットする映画には娯楽も必要」ということで挿入しようと撮影した、なんとも突き抜けたインドネシア独特?の色彩センスやダンスシーンが奇妙にシュールで美しくて、あれをアンワルたちが、どうまとめ映画に仕立てたのかが、大変に気になるのである。

にしても悪趣味加減も大いに含めて、ジョシュア・オッペンハイマー監督、実に恐ろしすぎる才能の持ち主であります。

 
by riprigandpanic | 2014-05-11 16:12 | ほんっ

あたしだってあるあるって言いたい……

yomyomにて、
「卒業できない私たち」というルポルタージュを連載しています。

不惑の四十を過ぎても、やめられないトキメキ趣味娯楽をめぐるルポです。
一昔前だったら眉をひそめられたジャニヲタの人たちもじわりと市民権を得て、
さらに韓流もあり、宝塚もあり……。

きっかけは私が少女漫画を十代からえんえんと読み続けて来て、ここにきてコンテンツががくっと
少なくなり、強制卒業を余儀なくさせられている状況になり、
あたらしい娯楽を見つけよう!!と思ったところからはじまってます。

くわしくは原稿にゆずるとして、
いい歳をした大人の女だからこそ、現実の(男との)どうにもならなさも知っている訳で、
だからこそこういうトキメキ系娯楽は心のバランスをとるのに
アリなんじゃないか思うわけです。

そして女のトキメキって性欲に繋がってはいるけど、そのものとは違うというか、じつに幅広くて個人差があるもので、そのあたりが一筋縄ではいかない巨大なコンテンツを産むのでしょうかね。

「卒業できない」とかタイトルつけたけど、
もはや「なにが悪いわけですか?むしろいい事ずくめなんじゃ?」
という境地にさしかかっています。

で、三回目と四回目ではジャニヲタの女性たちにお話を伺ったり舞台に行ったりしてました。


そこで昨年秋に取材させていただいたみきーるさん。
「ジャニヲタあるある」アスペクトを出したばかりでちょうど話題になっておりました。
ジャニタレへの湧き出るトキメキ、ほとばしる情熱……のあまりに
一般の人からすると不可解にすら見える数々の行動を、ちょっぴり自虐まじりに描いていて笑えます。
私がインタビューした方々みんな、このような熱気に包まれて目に☆浮かべて。
じつにシアワセそうでした。

で、今回それの第二弾が出たようで、
わざわざ送っていただきました。ありがとうございます。

ジャニヲタあるある フレッシュ

みきーる / アスペクト


まだまだ「あった」のね……。
いやはや。
一般の方は第一弾から読んだ方が用語がわかりやすいかもしれません。
私はもう慣れました。
ファンにはなれなかったんですけど、楽しそうで読んでるとちょっと羨ましくなります。

ジャニヲタあるある

みきーる / アスペクト


by riprigandpanic | 2013-03-27 13:59 | ほんっ

全部とっちまったもので……

平凡社の下中美都さんから
『もしかして乳がん!? あなたの不安にこたえます。』吉本賢隆
が送られてきました。

もしかして乳がん?! あなたの不安に答えます。

吉本 賢隆 / 平凡社



ありがとうございます。

下中美都さんとは仕事をご一緒したわけではないのですが、
もはやきっかけも忘れましたが、いくつか好みを同じくするものがあることがわかり、
ぼちぼちと〒のやり取りなどを行っております。敬愛する編集者であります。

下中さんご自身も乳癌に罹患したことが、この本を作るきっかけになったとか。
さすが、編集者!!! とうなるくらい、きちっとわかりやすく、
乳がんという病気と現在の治療方法の全体がわかるようになってます。
なんというか、美都さんらしい本だなあーと思いました。

乳がんと一口に言ってもがん細胞の質から進み具合から多彩なので
だいたいみんな不安に駆られて調べまくるらしいです。

私はまあ、病気中も本当に興味なかったし、じつのところ今もあんまりないし、
なにより全部とっちゃったから、次になるなら肺とか骨とか他の臓器ということもあり、
ざっと拝読するにとどめさせていただきました。が、とてもよくまとまってます。
ああ、なるほどそうカテゴライズするのか、と膝打ったりしました。

さて、私は興味ないと書きましたが、
当然の事ながら、正しく新しい情報を持っていたほうが、
納得のいく治療を受けられます。それはもう絶対に絶対に。
やさぐれないほうがいいです(笑)。やさぐれちゃダメ!!(笑)

いま女友達が乳癌になったら
やさぐれないようにサポートするつもりでおりますし。

ですんで
ネットで情報迷子になったら、ぜひこの本を。


同封していただいた「がんサポート」のコピー、美都さんが乳がんになってからの経緯のインタビュー。幸田文の選集を作られたたそうで。さっすがーーー。
そして同じノルバデクス服用でも、
副作用もいろいろ違うのだなあと思ったり。

下中美都さん、ありがとうございました。
お仕事柄難しいでしょうが、お互いストレスレスを目指しましょう。

そのうちお目にかかれたら嬉しいです。
by riprigandpanic | 2012-10-02 16:34 | ほんっ

この製本……

今日届いた

『新世紀読書大全 書評1990-2010』柳下毅一郎 洋泉社

新世紀読書大全 書評1990-2010

柳下 毅一郎 / 洋泉社




凄い書評集です。中身については私はこれ一気読みしないで
ぼちぼち一日一頁ずつくらいの感じで読むつもりなんで、
すんません。まとめた感想は書けません。


んが、造本の凄さについてどうしても書いておきたいので。
マニアックですみません。


奥付までで653頁という大著にもかかわらず、ツカを実測したら29ミリ。
本文紙がとにかく薄い。なのに裏映りない。
同じくらいの厚さの普通の上製本と比べてみた。
本文紙もよくあるクリーム色の、あれ。名前しらないけど。
こんな感じ。二ミリボールの表紙分、載せて置いて、同じ高さにしてます。
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で、こちらの本は、本文紙奥付まで数えると535頁しかないんです。
いかに薄いかがわかるでしょう。

しかもこの本の開きの良さはなに?!
驚くほどよく開く。だから読みやすい。
紙目が強いんです。抄紙のスピードが速いと目が強くなるんだったかな。
横によくしなるようにできてる紙をわざと選んだんだろうなあ。
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これは開きの悪い本の例。
いや、悪いというほどではなく、普通です普通。

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紙も厚くて重い。
これ事典形式の本なのであっちゃこっちゃと開くから、
落ち着いてくれないからちょっとイラッとする。

しかし本文紙はロット買いの単位がデカイためなのか
デザイナーがなんとかしようにも、
版元の手持ち資材でよろしく☆
みたいな事情も大きいのです。
デザイナーが選べないことも多い分野。
それにフロントカバーにお金かけたいと思うのも人情だし、
まず買ってくれないと困るからカバー大事だし。

でも本文紙というのは、本を読んでいる時間ずっと
つきまとうんです。
開きが悪けりゃムカッとするし
重けりゃ持ち運ぶたびにうんざりしたり
寝ながら読むだけで手首痛めたり

いい本文紙だと誰の気にもとまらないという縁の下の力持ち



だけど、これだけ薄くて紙目も強いとなると、
大抵の場合、湿気に敏感に伸びるんじゃないかと予測。
そうじゃない紙もあるのかもしれないけど。

それの何が困るのかというと、これ小口に文字が出るようになってます。

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小口印刷と言ってしまってるけど、その昔は小口にマーブル模様を
文字通り押し付けてのせたり、絵を書いたりしたんだけど、
現代の工業製本では、本文の脇に絵柄をずらして刷り、小口に反映させるわけです。

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昔の工作舍の本とかに、あった。記憶に間違いなければ杉浦康平氏のデザインで。

で、この小口に出る文字をきちんと出すには、
印刷のズレがまず許されない。ズレの許容範囲が異様に狭くなると予測。
なのに紙が、伸びやすいかもって……。天気ひとつで紙は伸び縮みしますし、
オフセットは水が必要な印刷…、いや、水いらないオフセットもあるんだったか?

それから、折りと、折り丁の合体接着も、正確でなければならない。
どうしても一折りの中の内側と外側でも、少しズレがでるはず。
紙が薄いから、折り山のズレは少ないかもしれないけど。

天地左右いかなるズレも最小限に抑えなければならない。

というような、幾多の試練を乗り越えてる印刷製本です。
泣けます。現場見学したことのある者としては。

感心しきり。
デザインの高橋ヨシキ氏、
編集の田野辺尚人氏、
そして印刷製本を担当したサンケイ総合印刷株式会社、
の、力作でしょう。

書評という中身を考えて、すごくよく造本設計されてる。
全ての頁、流し込めないデザイン、小口のずらし、
自分がやるとなったら発狂するよ……。
そして
実際に印刷製本に関わった人も、よくがんばったと思う。
こりゃー大変だったのでは。涙。


労力を使ったから、大変だったから、

買ってくれ


制作に関わった方々が
言いたいのかどうかもよくわかりません。
(本意でないかもしれない)
どんなに苦労しても出来がよくなけりゃ仕方ないし。

それでも脇からあえて言わせてもらえば
この本を高いとは思わないで欲しいのです。
そもそも中身だけでも
これくらい払う価値ある本に、
これだけの手間をかけて作って
それがちゃんと効果的になってんですから。




私はこの先老化も進む事だし、
たいがいの本は電子本で構わんと思ってるクチですが
こういう本は、電子化したくないです。手でツカを掴んで、
この妙に薄くてぱりっとしてるのにざらついた紙をめくりながら、
小口のざらざらを指の腹で撫でながら
読みたい。

造本のすべてが、柳下氏の文章に呼応するように思えるから。





えーフェティッシュ炸裂な長文で失礼しました。
仕事に戻りますはい。
by riprigandpanic | 2012-09-27 01:38 | ほんっ

毛のない生活

毛のない生活

山口ミルコ / ミシマ社


ミシマ社の三島さんから手渡され、
読もうと思いつつも、なかなか開くことができなかった。すんません。
9Gくらいの圧力がかかっていた。読めば自分が手術を繰り返していたときのことが蘇る。
それがなんとも怖かった。はい、怖かったんですよー。

自分が病から遠のきたがっているんだと思い知りました。
元気になればなるほど、とはいえ今現在の私は腰痛に悩まされているんだが、
ともあれ傷口がかゆいだの、左腕がしびれるだの、ホットフラッシュだ、
乳首が残るか残らんか、シリコンいれるかどうか、
などというのが日常だった頃は、
そんなに怖くもなく、楽しくもないけど人生こんなもんだろ的に
やさぐれやり過ごしていたのだけれど、

元気になればなるほど、もとにもどるのが憂鬱になる。
いつかは戻るんだろうけど(うちは父方も母方も凄い確率で癌に罹患しているので、このまま高齢になって癌以外の病気で死ぬ確率はとても低いとは思っている)な。


しかし病気とはその人の生き方そのもの。
おんなじ乳癌であっても、がん細胞の性質の違いもあろうが、まあそれすらも個性と言えるし、
有効な治療方法も違えば、選択の仕方によっても違ってくる。受け止め方も、人それぞれ。
これまでの暮らし方をどうとらえ、これからどう行きて行くのかも、やっぱり人それぞれ。
この本を読んでいると、どうしても自分のビフォーアフターの暮しぶりと比べてしまう訳ですが、
まるっきり違う。びっくりするほど違う。

著者と私は
ほぼ同世代にして同じ業界とはいえ、天辺と地辺にいたわけですから、違って当然です。

かたや忙しすぎ、稼ぎ過ぎ、贅沢しすぎて病み、
かたや貧困とやりたくない仕事と割りに合わない仕事の負のループで病んだわけです。

これまでの暮しで心身を痛めつけていたのはおんなじなんですがね。

これからは身体も心も気持ちよくいたわってやらんとな、と思う気持ちは一緒なんだけど、
それで実践してる事も、思い至る事も、見事に違う。

これまでの暮らしを見直して、ミニマムにしようとしているというか、せざるを得ない彼女と、
もうすこしだけ人間らしい暮しにしようとしている私。

はい、仕事をいただけている間だけでも、居心地の良いベッドルームを作ってたのしく寝ようじゃないかと、生まれてはじめて思っています。当然身の丈に合わない贅沢なんじゃないかと、ビクビクしています。でもたぶん老人になって、仕事もなくなったらまた畳の小さなアパートに湿った布団しいて寝る暮しなんだろうから(山にこもりたいところだが)、向こう十年くらいはいいかなーとか考えてみたり。ビクビクしながらも、どっちかと言えば、拡大傾向な私です。

彼女も私も、あと五年でどんなふうに落ち着いて行くんだろうかと、余計なお世話だけど、考えてしまう。癌は長い長い病だもんで、完全に縁が切れたと思うことは、この先もない。で、そのなかで、やっぱり治療期間に得た痛みの記憶がね、ふつふつと、「これまでとは違うバランス」を求め続けてしまうはず。方向もやり方も違うけど、それはとてもよくわかります。

きっと彼女はいいペースで仕事を少しずつ丹念にこなしてゆくのではないか。いや、きっと(優秀な編集者だった人はフリーになっても大変優秀なのである)そうなるでしょうし、自分だってそうありたいと思ってるんですがね。いかんせん私は仕事がのろすぎたし、今も早くはないから、焦りまくる日々。あんまり身体に良くないです。


それと
抗がん剤の治療はやはりとてもツライんだなと、読んでみて思った。痛々しかった。
毛の抜けた皮膚は、痛いものなんだ。知らなかった。そして髪が抜けることに関しては
自分はそれほどショックを受けないんじゃないかと思っていたけど、それもやってみないと
どう感じるのかはわからんな、と思い直したのでした。

ホルモン療法と一緒で、どうツライのかは、人それぞれだから、
彼女が書くように、やっぱり結局自分で味わってみるしか、ない。

そしてやってみてキツかったからやめたという彼女のやり方は、
私にはとても腑に落ちるものだった。

結局はやってみないと、わからないことなんですよね。



癌について書くのは、なかなか億劫なことなので、
この際だからついでに書いておくと、
シリコンの胸は、案外なじんでます。
ちょっとウワツキであることの不便さは
あるものの、それでもなじんでます。

見た目もうっすり脂肪がのったのか、自然に見えて来た。
自分が不自然さに慣れただけなのかもしれないけれど。
触り心地もこころなしか柔らかくなったように思う。

麻痺していた感覚も、全て戻っている。
切った分だけ、だから左右それぞれ三回麻痺したんだけど、
毎回よく蘇るものだと関心する。

傷も以前より赤みが落ち着いて来てます。
たまに皮下に泡のようなものがぽこっとできるんだけど、また消えて行く。
最初は焦ってセンセイに相談したけど、この感触、
癌なわけないじゃんと笑われて、ムッとしたけど気にならなくなりました。
しかしあれは何なんだろうか。
なぜたまにできては消えて行くのか、理由が知りたいところではある。

もしゼンテキしないで放射線治療してたら、今頃どうしていただろうかとか、
日常ではほとんど考えませんし、切った乳腺に未練を感じる事も、ないです。
たぶん違う自分がいた(もしくはこの世にいないか)でしょうが、
やっちまったもんをどうこう思い患っても仕方ないんで。
イヤな過去と同じで、考えない。思い出さない。ただそれだけ。

いまのところ、そんな感じです。
by riprigandpanic | 2012-04-30 02:51 | ほんっ

メラメラと

『飼い喰い』トークイベントはようやく一段落いたしました。
ご来場くださったみなさま、ありがとうございました。能町みね子さん、服部文祥さん、上原善広さんと、それぞれ全然違う切り口で密度の濃い話ができたので、こちらとしてもやりがいあり楽しかったです。ま、へとへとにもなりましたが。
「月刊世界」誌上で対談してくださった角田光代さんともども、本当にありがとうございました。
それと、
たくさんの媒体で取り上げていただきまして、恐縮です。

ブログに書けませんでしたが、16日にはニコ生ノンフィクションにも出していただきました。
藤井誠二さん、湘南びゅあハムの平井三郎さんも、どうもありがとうございました。
平井さんは弁が立つのでどんどん話をする場を作ったらいいと思いますよ。

インタビューやラジオなどがまだちょこっとあります。
媒体はまだ申せませんが、稲泉連さんにインタビューしてもらえるのが楽しみです。
あの去年行われた週刊ポストの大暴走鼎談を綺麗にまとめた手腕を見せられて以来、もう一度お目にかかったらお礼を言わねばと思っていたので。

そのときの大暴走の戦犯の片割れ、服部文祥さんとは、こないだのトークでもお客さんをはるか遠くに置いてけぼりにして、バンバントチ狂って爆走しまくりましたが、それは杉江さんが活字にできない部分を丁寧に削ぎ落としてくださり「本の雑誌」に収録されますので読んでやってください。はっきり言って面白いです。

さて、本題です。
高野秀行さんの新刊

未来国家ブータン

高野 秀行 / 集英社

「未来国家ブータン」

私がブータンに興味があったのは、なんだか遥か昔のことのようで、
今なんだか幸福度が高くエコだということでもてはやされているのを凄まじく遠目にみていたくらい。

高野さんは独特の感覚で、ブータンという国にちょきちょきと、歩く速度ではさみを入れてゆく。歩いた分だけで、それがブータンの全てではないのに、すごくいまのブータンの空気が伝わってくるのだ。上手い。人々がなにを恐がり、気にして、楽しんでいるのか。彼らが幸福を感じて暮らしている理由も検証しているのだが、程よく冷静。憧れたところで、いまの日本がブータンになれるわけがないしな。

食肉や動物を殺すことに関するタブー観、差別の歴史などにも触れているのはありがたいところ。

しかし一番うなったのは、
「それにしてもなぜここが国家なのか」という問いなのだった。そうそう、これってみんながブータンに対してなんとなく思いながらも無意識に引っ込めてしまいがちなんだよね。ミャンマーや雲南省など?周辺の地域を丹念に歩き旅してきた高野さんがつぶやくからこその深みと説得力で、迫る。


ちょうど先日私はイスラエルを取材してへろへろになって帰国してきた。数十キロ先では空爆が繰り広げられているにもかかわらず、それが信じられないくらい静かで美しいゴラン高原を見て、入植第三世代のイスラエル人たちと話をしながら「国家ってなに」「ユダヤ人てなに」という問いに向き合っていたのだった。

しかし取材は「屠畜紀行」のためだったので、そうそうたくさんは書けない。ああ、私も一冊まるまるひとつの国で書いてみたいぞ、ちくしょう!!と、「未来国家ブータン」を読みながらもだえてしまったのであった。ていうかだんだん食肉とは別に、イスラエルもう一回取材して一冊書きたい気分がたかまりつつある。高野さんのせいです。

次の本になるのかどうかわからないけれど、高野さんはソマリランドの取材もしている。ここでもまた高野さんの目と足でたどられた「国家」を目にすることができるに決まってる。今からものすごく楽しみなのである。
by riprigandpanic | 2012-04-21 02:46 | ほんっ

変わったのだろうか

ミシマ社の三島さんが本を出した。
ミシマ社という小さな出版社を立ち上げることについての話です。

計画と無計画のあいだ---「自由が丘のほがらかな出版社」の話

三島邦弘 / 河出書房新社



いやもう何年も本を出す企画を三島さんとすすめているのであるが、なかなか進みません。
すいません。取材をルーティンワークの間に入れるのが、本当にへたくそでして。

という謝罪をかねて先月はじめてミシマ社の社屋をたずねた。創立何周年だっけな、のパーティーだったので。不思議な場所だった。

人がたくさんいたこともあって、よくわからないまま帰宅。

本を読んでみて少しわかりました。

三島さんはほんとうに理屈抜きで、とにかく恐れず身体や手を動かせるひとなのは、打ち合わせや取材同行していただいて知っていたけれど、
まさか会社までその調子で立ち上げて突っ走っていたとは、ちょっと予想はしていたけど、
想像の範疇を超えていた。



私は出版業界に関わってもう二十年になるけれど、ほとんどの時間を業界の隅っこで小作請け負いをしていたにすぎなくて、一応まがりなりにも著者として一部の編集者や版元の目に留めていただけるようになったのは、ここ二、三年くらいのものです。ペーペーもいいところです。
いろいろ不自由を感じます。斜陽の業界で、売れない、ということももちろんありますが、そうでない慣習的なところでの不自由をいろいろ感じます。口に出して言わないのは仕事が来なくなるのが怖いからそれだけですよもちろん。あったりまえじゃん。それと目の前の人に言ってもしょうがないか、的なことが多過ぎるから。もはや社会はそうやってできているのだと思いはじめました。たいへん遅まきながら。

そのかわり、なぜそうなのかを知りたいので、若手の編集者の方々が持っておられる憤懣はわりと丹念に聞かせてもらいます。ただ最近それもすこし飽きて参りました。版元や流通が陥ってる問題を、いまの私の立場ですこしでも、ほんのすこしでも変える事は不可能だということがだんだん私なりにわかって来たから。

三島さんは中堅版元の編集者として、そこらへんの憤懣ときちんと向き合って、打破する手段として、新規参入、つまり自ら出版社を立ち上げる事を選んだ。やりかたとしてはかなり無茶だけど、気持ちにブレがないから、なんとか行くんじゃないかって関わった人たちみんなが思ってしまう。そういう人だし、そういうスタッフを集めて、そういう会社にしてる。おもしろいです。

三島さんの本を、こうすれば何かが変わるとか、そういう読み方をするべきではないと思う。えーとそういう方法が書いてあるようにも思えない。
ただひたすら無尽蔵のエネルギーをもって目の前のことをする。それだけが不可能を可能にする、のかもしれないと、そういうことです。とにかく止まらなきゃ少しは進むというか。必死に走れば多少は前に進むというか。

私もけちくさい躊躇や不満その他のいろいろは折り畳んで(捨てられるような人格者ではありません)、莫大なエネルギーを孕む本を書いて、売れない市場に出して売るしかない。十年前なら五倍は売れたのにと思うよりは、五倍のエネルギーをもった本を書けば、十年前の売れ行きと同じ数字が出せる、つまりはたくさんの人に読んでもらえる、かもしれないと思って書くしかない。どちらかというと省エネで生きていきたいわけですが、まあここはしかたないかなと。

今の私にはそれくらいしかできることはない、ということに、気づかせていただきました。

そういうわけでがんばりますから、三島さん……。ほんと、すんません。うすのろで。


私は3.11以降の世の中ががらりと変わったとは、あんまり思っていない。災害によって手助けしていかなければどうにもならない人が多くなって、景気がさらに悪くなって、消費動向とか、変わった部分はあるけれど、社会のシステム的には変われてない部分がほとんどなんじゃないのかと思うし、もっと広義でいえば、なんにも変わらない。人はひとりで生まれてひとりで死んでいくだけです。生きてる間は、離乳を終えれば生物の死骸を摂取しつづけます(点滴で生存するばあいは別かな)。糞袋ですから。僭越ながらそこからぶれない本が書けたらいいなと考えております。

というわけで、いろいろあって(本当にいろいろ大変ではありましたが)滞っている仕事を
なんとかするべく、
気合いを入れようと思います。はい。はい。はい……。
by riprigandpanic | 2011-11-30 01:40 | ほんっ

したくないけどしごとせな、と思わせる一冊

まだ韓流ブームがくる全然前に、ソウルに住んでる日本育ちの女性ライターさんだったか、と話をした。ちょっと記憶が定かではないのだけれど、日本ので在日の女子学生が就職しようとするときの困難さを聞いた。飛び抜けて優秀な学歴や資格があれば、在日であろうが女子であろうが問題なくなったと。それは明らかに世の中は変わったのだけれど、そう優秀でもなく学歴も普通の大学くらいでは、全然だめなんだと。そんなような話だった。
上が突破すると、差別が解消されたような気がしてしまうけれど、大部分の普通の人は、相変わらずということで、なんというか、ぐっさりときた。

ちょっと違うけど、似たような事を、就職活動しているときに思ってた。

私は普通の会社員になりたかった。やりがいのある好きな仕事につくのもいいけれど、というか一応そういう職種の就職活動もしたけれど、競争率も高いし、自分の低能力ではどうにもなりそうにない。ならば職種もどうでもいいし、それなりに特別なやりがいはなくてもいいから、九時五時に終わる仕事をして、余暇を充実させた人生を送りたいと、思った。

しかしそんな仕事をするんでも、バブルの就職うはうはらくちんな時期であったにもかかわらず、やっぱり、就職活動って「人一倍のやる気」とか「学生時代にやって来たこと」をなんていうのか、他の人と違うかのように印象づけてプレゼンしなければならなくて、それがものすんごく難しかった。学校教育もたぶん会社に入ってからも、「人と同じ事」することを強要されるのがわかってんのに、なんで就職活動だけ、まわりを出し抜くというのは語弊があるのかもしれないけれど、とにかく「自分」を前面に出さねばならないのか。

私はどちらかというとなんていうレベルではなく、大多数からずれた子どもだったので、「人と同じでいろ圧力」に小学校時代から延々と耐え、ちょっと気を抜いてやりたい事や言いたい事を言えばいじめられるからと、自分を出さないように出さないようにしてきたのに、は、なんだよ今更「自分らしさ出せ」ってばかじゃねえの。ホントに出したらはじくくせに。と。

ええまあもちろんこのような「斜めな心」をもった学生は、そういうオーラだしますから、すぐにわかるわけで、どこの会社も引っかかりませんでした。都心に通勤するのに一時間半以上の女子学生は、一人暮らしして「風紀が乱れる」からと、それだけで就職しにくいと、就職課の人に言われましたがね。もちろん私に高い学歴と、英検一級とか、さまざまに高度な能力があれば話はぜんぜん別だったかもしれないし。それでもなんだかんだと女子学生のみんな就職が決まり、当時、まともに就職活動してどこにもひっかからない学生というのは結構稀でして、自分が札付きの「使い物にならない人」であることを突きつけられたというわけです。

オンリーワンな、自分の名前出してするような、クリエイティブでかっこいい仕事じゃなくて、特別な能力を要求されない、誰にでもできる仕事を淡々としたいと思っているのに、なんでこんなに苦労して、それでも得られないのか。全然高望みしてないのに……。それほど高い能力のない人間にも、それなりの人生レールが敷かれてるものだとばかり思っていたのに、どうやらそんな楽勝と思われてる仕事すら、自分にとっては死にものぐるいで探さなきゃ得られないものらしい。

相当こたえました。

この歳になればさすがに会社の求める人材がどんなものかは理解できるし、どんなプレゼンをすればよかったのかも、なんとなくはわかる。自分がいかにいわゆる普通の仕事に適性がなかったかもわかるし(私が経営者なら絶対とらないと断言します)、働く気構えもできていなかったかも、どんなに甘かったかも、よくわかる。

福澤徹三さんの『東京難民』(光文社)の根性無しの主人公は、そういうわけで、当時の自分とものすごく重なって、焦げるような気持ちで読んだ。(えーと随分前に送っていただいておりました。ありがとうございました)

東京難民

福澤 徹三 / 光文社





親が倒産して行方不明になり、仕送りと大学の学費が止まり、中退を余儀なくされた青年。そこからはじまる思いもしなかったバイト人生。即金がないと困るので職種もきつめなホスト、ポスティング、土木工事などなど(この手の仕事の案内本かというくらいいろいろでてくる)。このくらい誰でもできるだろ、楽勝だぜ、と思ってる仕事がちょっとしたことでうまくいかない。どんな仕事にもつきものの暗黒部分を飲みほせない。そしてキツい割に貰えるお金も驚くほど少ない。で、辞めて別の仕事に。自分は悪くないのにだまされ、利用され、どんどんと追い込まれて、ネットカフェで泊まる金も尽き、気がついたらホームレスの雑誌売り。それでも治らないアマちゃんな根性。しかしこのお方の小説は、いつも主人公設定を甘やかさない。徹底的にこれでもかってくらいダメな奴(もはやそこまで外せば大物なんじゃというダメさではなく、妙に懲りないなおらないちょっとしたダメさが真に迫ってリアルにダメ!!なのである)にして、奈落の底まで突き落としますね。
ライオンの母ちゃんかよ……。

いやもうこの主人公に往復ビンタくらわせたいくらい、イラッイラするんだけど、同時に一歩間違えば自分も確実にこうなっていたとも思えるリアルさ。いや、今だってちょっと間違えばあっという間にこうなるのもわかってる。だからこそ、読後は焦げ焦げに炭化しました。

スーダラ暮らしていきたいものですが、いつかスーダラ暮らすために、なぜか仕事をがんばらねばならないわけです……。し、しごとせな……。
by riprigandpanic | 2011-11-22 13:49 | ほんっ

少女漫画の話になると長いね

 作家の読書道というコーナーでインタビューを受けました。瀧井さん、ありがとうございました。もーなんのくそおもしろくもない読書遍歴でごめんなさいって感じです。

 で、そこにある通り、私はかなりの少女漫画読みだったのである。それも八十年代、白泉社というよりは集英社小学館、「りぼん」よりは「別冊マーガレット」だった。同時期の少女漫画好きの方ならわかるとおり、現実的にありそうな環境におけるご都合恋愛物語が多産されてたゾーンです。SFもなけりゃ、時代物も怪談もなく、ただひたすらキャンパスライフか、高校生活での恋愛成就譚みたいな、作品が多かった。成就しない作品もたくさんあったが。

 現実世界では中学も高校も大学も、どっちかというと私は閉じてる人間だったし今も基本的には閉じがちですので、よく「花ゆめ」派の同級生たちから「別マ」を読むとは意外だと言われたもんでした。現代語で平たくいえば、「腐女子にみえるのに、なんで腐女子色の強い漫画を読まないのか」ということかと……。……。

「ぼくの地球を守って」とかが連載してた頃だったかなあ。あたしはホントにSFがいまいち読めないんですよ。星新一読んだだけ。フィリップ・K・ディックとかもまるで読んでません。はい。なぜなのかと言われてもなあ。なんかルールを覚えるのがしんどいの。ファンタジーも割とそう。でもファンタジーはまだ読むな。それと、今もその傾向があるんだが、服がちゃんと描けてない少女漫画が嫌だったんです。当時から服大好きだったんで。服や髪型がオンタイムでスタイリッシュに描けてるとそれだけで気分が上がるんですよ。
 
 話を戻すと、当時の別冊マーガレットのヒット作品といえば、「いたずらなKISS」で「ホットロード」っすよ、たしか。あたしが好きだったのは週刊マーガレットから出てヤングユーに移って行った岩館真理子や、山下和美とか、ですかねー。マーガレット系ではないですが小椋冬実も大好きだったなあ。清原なつのとか、吉野朔美も萩尾もとも大好きでしたが、そういう文学やサブカルの香りなしの、どストレートな少女漫画も当時浴びるように読んでいたわけです。ほとんど忘れましたが。
今思えばね、セックスシーンなんかほとんどないものの、あれはやっぱり女子のエロ本みたいなものだったんじゃないかと思う。読んだことないんだがハーレクイーンロマンスとか、見たことないんだがヨン様がでてた冬のソナタもそうなのかな。

 今、あきらかにこのテの少女漫画の需要は減っているだろう。刊行点数の少なさからして明らかだ。むしろSFだのタイムトリップだのファンタジー的要素が入った作品を多く載せていた、白泉社系の少女漫画の方がぜんぜん元気なんじゃないのかなあ。読者である少女はどこに消えたのか。携帯小説なのかなー。よくわからん。


 で、ここからが本題で、そういう現実を舞台にいわゆるありえそうでありえない恋愛成就譚を描く一群のなかにいくえみ綾がいたと思う。彼女の描く男の子は常にその時期の女の子が「かっこいい、愛しい」と思えるなにかを持っていた。セリフだったりしぐさだったり、姿形だったり、目つきだったり、服の着こなしだったり。
 たいていの少女漫画家は、一定の年齢を超えるとそういうディテールが描けなくなるようだ。九十年代後半にはあたしはもう「いまどきの男の子の姿形」がカッコイイとは逆立ちしても思えなくなってて、ちょうどその頃、だれなのかは分からないが少女漫画家と編集者が打ち合わせをしている席の隣に居合わせて、「腰履きの男子を描いたりルーズソックスの女の子を描くのが辛い。なにがかっこいいのかわからない」と少女漫画家がこぼしているのを盗み聞いて、目頭が熱くなったのを覚えている。……だよなあ。少女漫画家ってたいへんな職業だよなあ。
 そういうディテールをずっと描きつづけられるというのは、すごい才能なのだと思う。よくしらなかったが、いまや「いくえみ男子」という言葉すらできているくらい、彼女の描く男子のファンは多いのだ。

 しかしあたしも三十くらいから、さすがのいくえみ綾も読まなくなっていたわけですよ。老いれば老いるほど、年々読める少女漫画が減っていく。やっぱりそりゃいまの「別冊マーガレット」を読もうとは思わない。二十以上年下の女の子たちの恋物語をだな、なんのサブカル的な要素も、人生考えさせられるようななにかも、仕事についての姿勢だとか、こじれる親子関係とか、スポーツやら芸術やらの求道とか、そういう恋愛以外の要素が何一つ入らない話は、やっぱり読めなくなる。
しかし二年前に一回り下の少女漫画読みの友人ができて、ひさびさにいくえみ綾を薦められ、読んだのが『潔く柔く』。当時雑誌連載中。
全部で十三巻で完結。とりあえず一巻を。

潔く柔く 1 (マーガレットコミックス)

いくえみ 綾 / 集英社




 これが驚くほど良かった。いやーびっくり。だってあらすじ起こすとすさまじくベタなんだもの。ものすごくかわいいんだけど、それをいまいち自覚しきれていない女の子が主人公。幼馴染の男の子はものすごくカッコイイ男の子で、中学に上がるあたりから、急速にモテるようになってた。高校にあがって、もうひと組の男女と四人でつるむようになって、ちょっと周りから羨ましがられる四人組になってて、あー書いててもこっぱずかしくなるようなんだが、そのさきもすごい。そのカッコイイ幼馴染の男の子が突然交通事故で死ぬのだ。


 どーへえええええ。
 じゃ、あたしはこれで失礼しますよ!!あとは御勝手に、と言いたくなるような展開なんだが、これがなー、ものすごく上手に進めていく。登場人物の総数は何人になるんだろうか。描かれるのは主人公の女の子のその後の十年間くらいで、ずっと彼女はその彼氏ですらなかったのだが、彼女のことが好きだったとあとからわかる、死んだ幼馴染への罪悪感を抱えて生きる。話はその折々で出会う友人たちが主人公になったりしながら進む。時系列もジクザグ。

 数えようとして挫折しましたが、二十人以上いるんじゃないかなあ(きっとどこかのサイトでだれかが数えているはずなので探してみてください)。家系図のように、絡まり合う、沢山の若者たち。もちろんすべて恋物語!! いろんな若者がだれかを好きになったりふったりふられたりする。そのあいだにみんな高校を卒業して、都会にでてきたり、大学に行ったり、家庭教師のバイトをしたり、居酒屋でバイトをしたり、就職したらいきつけのバーができたり、教育実習したり、スーツになったら髪を短く切って登場したり。友達関係を解消したり復活したり、嫉妬したり、以下略。みんなほんとーにどこにでもいそうな若者たちがたどりそうな道の途中で出会う恋と友情。

 親子関係だとか、仕事のやりがいだとか、女性性だとか、そういうことも考えざるを得ないお年頃であるし、考えて人生を歩んでいるようにちゃんと描いてるんだけど、実際にはほとんど描かれない。恋関係のみと言ってよし。あ、あと同性同士の嫉妬もあるけど男がらみだから同じこと。

 じゃ、主要テーマは恋なのかというと、そうではなくて、いや、恋物語ではあるんだけど、死んでしまった人との別れ方、なんである。死者との付き合い方、とも言えるか。これを少女漫画の王道のというか鉄板の「カッコイイ幼馴染が死んじゃった。しかも主人公の女の子もすんごいかわいい……」というストーリーで、月齢480も越えていいかげんひねくれ果ててるババアにも、若い夢見がちなお嬢さんたちにも、ちゃんと読める少女漫画に仕立てるんだから、凄いというか恐ろしいというか。

 記憶違いならもうしわけないのだが、あの、テレビでちらっとセカチューを見たときに、死んじゃった綾瀬はるかを想ってあられもなく号泣したりなんだか派手に喚いていて、どん引きした。そういう人もいるだろうけど、大事な誰かを亡くしたとして、派手に悲しめる人はそうそういないのではないか。多かれ少なかれ自分の中に生き残っている自分への罪悪感を抱え込んで、沈みこみそうになりながら、必死に普通の日常を生きようとするのではないか。まわりの人間がどう手を貸したくても、ただ見守るしかない時期もある。

 劇的な救いなんて、そう簡単に訪れない。ただひたすら日々は過ぎていくものだ。それでも生き続けていれば、すこしずつなにかが変容していく。

 社会人になった主人公の女の子がようやく出会うべき人に会って、はじめて食事にいったら、フリで入ったフランス料理なのに、ものすごくおいしくてお互いびっくりしながらむさぼるシーンがとても好きだ。

 サシで料理をおいしく食べられる人かどうかは、まあ、恋人選びの第一歩だわな。
by riprigandpanic | 2011-08-26 20:41 | ほんっ