ミシマ社の三島さんから手渡され、 読もうと思いつつも、なかなか開くことができなかった。すんません。 9Gくらいの圧力がかかっていた。読めば自分が手術を繰り返していたときのことが蘇る。 それがなんとも怖かった。はい、怖かったんですよー。 自分が病から遠のきたがっているんだと思い知りました。 元気になればなるほど、とはいえ今現在の私は腰痛に悩まされているんだが、 ともあれ傷口がかゆいだの、左腕がしびれるだの、ホットフラッシュだ、 乳首が残るか残らんか、シリコンいれるかどうか、 などというのが日常だった頃は、 そんなに怖くもなく、楽しくもないけど人生こんなもんだろ的に やさぐれやり過ごしていたのだけれど、 元気になればなるほど、もとにもどるのが憂鬱になる。 いつかは戻るんだろうけど(うちは父方も母方も凄い確率で癌に罹患しているので、このまま高齢になって癌以外の病気で死ぬ確率はとても低いとは思っている)な。 しかし病気とはその人の生き方そのもの。 おんなじ乳癌であっても、がん細胞の性質の違いもあろうが、まあそれすらも個性と言えるし、 有効な治療方法も違えば、選択の仕方によっても違ってくる。受け止め方も、人それぞれ。 これまでの暮らし方をどうとらえ、これからどう行きて行くのかも、やっぱり人それぞれ。 この本を読んでいると、どうしても自分のビフォーアフターの暮しぶりと比べてしまう訳ですが、 まるっきり違う。びっくりするほど違う。 著者と私は ほぼ同世代にして同じ業界とはいえ、天辺と地辺にいたわけですから、違って当然です。 かたや忙しすぎ、稼ぎ過ぎ、贅沢しすぎて病み、 かたや貧困とやりたくない仕事と割りに合わない仕事の負のループで病んだわけです。 これまでの暮しで心身を痛めつけていたのはおんなじなんですがね。 これからは身体も心も気持ちよくいたわってやらんとな、と思う気持ちは一緒なんだけど、 それで実践してる事も、思い至る事も、見事に違う。 これまでの暮らしを見直して、ミニマムにしようとしているというか、せざるを得ない彼女と、 もうすこしだけ人間らしい暮しにしようとしている私。 はい、仕事をいただけている間だけでも、居心地の良いベッドルームを作ってたのしく寝ようじゃないかと、生まれてはじめて思っています。当然身の丈に合わない贅沢なんじゃないかと、ビクビクしています。でもたぶん老人になって、仕事もなくなったらまた畳の小さなアパートに湿った布団しいて寝る暮しなんだろうから(山にこもりたいところだが)、向こう十年くらいはいいかなーとか考えてみたり。ビクビクしながらも、どっちかと言えば、拡大傾向な私です。 彼女も私も、あと五年でどんなふうに落ち着いて行くんだろうかと、余計なお世話だけど、考えてしまう。癌は長い長い病だもんで、完全に縁が切れたと思うことは、この先もない。で、そのなかで、やっぱり治療期間に得た痛みの記憶がね、ふつふつと、「これまでとは違うバランス」を求め続けてしまうはず。方向もやり方も違うけど、それはとてもよくわかります。 きっと彼女はいいペースで仕事を少しずつ丹念にこなしてゆくのではないか。いや、きっと(優秀な編集者だった人はフリーになっても大変優秀なのである)そうなるでしょうし、自分だってそうありたいと思ってるんですがね。いかんせん私は仕事がのろすぎたし、今も早くはないから、焦りまくる日々。あんまり身体に良くないです。 それと 抗がん剤の治療はやはりとてもツライんだなと、読んでみて思った。痛々しかった。 毛の抜けた皮膚は、痛いものなんだ。知らなかった。そして髪が抜けることに関しては 自分はそれほどショックを受けないんじゃないかと思っていたけど、それもやってみないと どう感じるのかはわからんな、と思い直したのでした。 ホルモン療法と一緒で、どうツライのかは、人それぞれだから、 彼女が書くように、やっぱり結局自分で味わってみるしか、ない。 そしてやってみてキツかったからやめたという彼女のやり方は、 私にはとても腑に落ちるものだった。 結局はやってみないと、わからないことなんですよね。 癌について書くのは、なかなか億劫なことなので、 この際だからついでに書いておくと、 シリコンの胸は、案外なじんでます。 ちょっとウワツキであることの不便さは あるものの、それでもなじんでます。 見た目もうっすり脂肪がのったのか、自然に見えて来た。 自分が不自然さに慣れただけなのかもしれないけれど。 触り心地もこころなしか柔らかくなったように思う。 麻痺していた感覚も、全て戻っている。 切った分だけ、だから左右それぞれ三回麻痺したんだけど、 毎回よく蘇るものだと関心する。 傷も以前より赤みが落ち着いて来てます。 たまに皮下に泡のようなものがぽこっとできるんだけど、また消えて行く。 最初は焦ってセンセイに相談したけど、この感触、 癌なわけないじゃんと笑われて、ムッとしたけど気にならなくなりました。 しかしあれは何なんだろうか。 なぜたまにできては消えて行くのか、理由が知りたいところではある。 もしゼンテキしないで放射線治療してたら、今頃どうしていただろうかとか、 日常ではほとんど考えませんし、切った乳腺に未練を感じる事も、ないです。 たぶん違う自分がいた(もしくはこの世にいないか)でしょうが、 やっちまったもんをどうこう思い患っても仕方ないんで。 イヤな過去と同じで、考えない。思い出さない。ただそれだけ。 いまのところ、そんな感じです。
by riprigandpanic
| 2012-04-30 02:51
| ほんっ
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