モテないモテたいモテるとき

くすぶれ ! モテない系 能町みね子

くすぶれ!モテない系 (文春文庫)

能町 みね子 / 文藝春秋





能町さんはあたしの周りの三十代女子の間でとても人気です。
「あたし、モテない系なんですよー。能町さんのすっごいファンでー」と何度言われたことか。

で、彼女たちはもちろんちゃんとこの本を読んでいるんだけども、読んでいるにも関わらず、読解力の低い人たちではないにもかかわらず、あきらかにモテない女子ではない。みんな小奇麗にしてるし。よく聞きゃ男との悶着の一つや二つもでてくるし。どこがモテないんだよ、おい。ものすごく不思議になる。

 あの負け犬という言葉が流行したときのことを思い出す。あれもね、子どもいない女性の全てが負け犬を自称していましたが、酒井順子さんが描いた本来の負け犬は、ものすごくハイグレードな未(非)産女性なのであった。ブームのあとで負け犬を自称するのもおこがましい、つまりは負け犬よりも下ランクな未(非)産女性がたくさんいることをいろんなエッセイストが示唆していたものだ。酒井順子さんは決して上から目線であの本を書いたわけではないし、だからこそミリオンセラーになったのだが、ご本人の立ち位置、氏素性のグレードが高かったために、「おこがましい」とささやかれるかわいそうな女子をたくさん産んでしまったのかねえ。

 モテない系に話をもどせば、定義したスポットよりもずっと広く「あてはまる感」を呼んだということ、もうそれだけでこの書は大成功しているのです。すばらしき洞察力。話はそれますが、彼女はその洞察力で、拙著「身体のいいなり」の一番目の読者として版元のPR誌「一冊の本」一月号にするどい文章を書いてくださいました。さすがです。そのせつはありがとうございました。ていうかそのまえに「身体のいいなり」を書くかどうかの時点から相談に乗ってくださって本当にありがとうございました。

 ところでモテない系を自称する女子たちは、おこがましいのではない。むしろ必要以上に自己を卑下している。

 仮性モテない系の彼女たち。

「そんなことないじゃない」って言ってほしいだけのかとも思うんだけど、それだけなら能町さんの熱烈なファンにはならないような気もするし。その辺の女子心があたしにはどうもよくわからなくてね。まああたしもよく考えずに適当にサルの毛づくろい感覚で「そんなことないじゃない」って言ってやりゃいいんだろうけどな。

 能町さんの描く本来のモテない系は、真性包茎くらい強固な(失礼)、救い難い自己否定感に満ちつつ、エベレスト並みに自己愛の標高が高い女性のことだ。犬が自分の尻尾の付け根に切れの悪いウンコがくっついててなんとか取ろうとしてぐるぐるしてる、みたいな前に進めない、後ろ向きなひとたちのことです。とか書いたらぶん殴られるかなあ。すいません。まーね、日本人は謙譲が大好きだからね。あたしだって大好きだし。どころか自己否定と自己愛の高さならだれにも負けないっすよ。ニッポン屈指の韜晦者だと自負しているよ。

 しかしあたしは自分がモテない系だとは思ってない。

 モテるからではない。豚飼って喰う女は、喰う前から喰いかねない女なんですから。そのあたりくだくだしく言うのはかなり面倒なので割愛。モテたいという気持ちとはなんなのかというのも延々と長くなるので割愛させてください。

 自分がモテない系にあてはまらんなと思う最大の理由は、スタイル愛がないからです。
体育会系ではないから自分は文化系だと自称してますが、この書にうねるように狂ったように羅列されるような、「××が好きな自分が好き」ていうのがねー、あれねー……。

 ないんですわ。

昔あったような気がするんだけど、いや、たしかに持ってたんだけど、えーーーーーーーーーと、どこいっちゃったかしらねーーーー。崖下に落ちた麦わら帽子のようです。再び手にすることもないでしょう。

 スタイル愛が消失したのはやはり加齢がでかいのかなあ。しかしもう三十代からなかったような気もするけど、あ、でも加齢が進むごとにどうでもよくなってるね。たしかに。うんうん。
「好きな音楽は××」って言われることとか言うこととかでがっかりするとかドキッとするとか、なんかもーすんごい懐かしいのです。

 いまやね、北島三郎しか聞いたことないとか言われてもその男の人の自分にとっての男としての価値が一ミリたりとも下がらんですよ。とりたてて上がりもしないし。ともあれ「なし」にはならん。ゆずとかくるりとか言われても同じ。区別ついてないけど。服も同じ。ユニクロだろうがギャルソンだろうが、スーツファクトリーだろうが、商店街の作業服だろうが、似合ってりゃいいんじゃね? (こっちは区別はつくけど)
書物も同じ。あ、さすがに仕事相手としては好きな書き手が××だと言われてほうと思ったり逆に白けることはよくあるけれど、それは仕事相手だからですよ。
 かつて自分が夢中になった音楽と同じ音楽が好きだという男性がいても、カラオケは楽しいけど、それでどうってなあ、ないっすね。
 
 ああそうか。仮性モテない系女子は、このスタイル愛へのこだわりに強く強く感応したのではないかしらん。そうかもしれない。そしてたぶん「なにをやってもなにか不足してるような、未達成な自分」をモテないというくくりにして謙譲したいのかな。ま、そうだということにしとこう。毛づくろい面倒だし。ああ、女の先輩にたくさん助けられておきながら、後輩女子を可愛がらなくていいのかあたしよ(でも毛づくろいはめんどうだから他でやれ!!)。
 
 本書で、能町さんは、負け犬のように仕事に熱心でもない、人生後ろ向きなモテない系の将来、四十代、五十代がどうなるのか案じているけれど、このスタイル愛は加齢で薄まっていくんじゃないかと思います。はい。四十代女子と自称する人々は、たぶんまだこのスタイル愛を持ってる人たちなのだろうかとも考える。モテの、女の、現役ってだけではくくりきれない感覚なのかなと最近思う。

 巻末久保ミツロウさんとの対談もまた自己愛と自己卑下のねじくれ具合がすごいです。さすが真性モテない系コンビ。スタイル愛は加齢で消えるか薄まるかしても、それはたぶん死ぬまで治らないかもしれませんよ。先輩からの暗い予言です。おほほほほ。
by riprigandpanic | 2011-03-05 16:10 | ほんっ


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