春雨瀟瀟

珍しく誕生日ネタを続けます。
小学生以来ろくに祝ったこともないくせになぜか今年はなんとなく。

さてよんじゅうさんさい。

永井荷風が『雨瀟瀟』を書いた年齢ですわ。

『雨瀟瀟』、学生の時に感銘を受けて
鎌倉小町通りの社頭の特製和紙便箋に、青墨、毛筆でなんちゃって草書体で筆写したという
本当に暇だったんだなあーし、ばかじゃねえ?
という鼻かんで捨てたい思い出がございます。

若い時から隠居とか隠遁とか山姥とかそういうものに憧れていた阿呆です。

 離婚し、妾も追い出し、一人で病を抱えて暮らす荷風。小説のネタすら涸れはてた。江戸文化の残り香が日々消え行くことをたぐるように惜しみつつ、諦めていく。友人である旦那は色事抜きで古い唄の流派を残すために見所のある芸者をひかせ邸宅をしつらえたのだけど、江戸のおもむきを解さない芸者に失望し、暇を出して嘆く。近頃の女は六号活字しか読めないのだと。草紙の筆文字が読めなくて江戸がわかるかと。
そんな内容ですわ。

しかし二年前に小谷野敦さんの文章を読んで、愕然。当時は六十いくつかのじっさまが枯れ枯れに枯れた心境を書いたんだと思い込んでいたんですが、四十三歳の時に書いてんですって。げえー。

あわてて再読したら、湿っぽい。
枯れというより愚痴。それはそれで好きですが。

ま、近頃の若者は活字も活版印刷も知らないんだよねと嘆息していたりしますけどね。



そしてふと思い立ち今度は
メイ・サートンの『独り居の日記』白水社
をとりだして再読してんですけど。

これもさー、勘違いして八十ちかいばーさんが田舎に引っ込んだ話だとおもっていたんですが、計算すると六十前後なんですよね。日本で翻訳が出た当時が八十くらいだというだけのことで。
そしてこれもまたどこか生々しさが残る筆致。
ぴよぴよのねーちゃんだった時にはただひたすら孤独との闘いのようでかっこよく思えたのだが
要するに女の気鬱がわかる歳になってしまうと、ひしひしとリアルでしんしんと怖い。共感ありすぎ。

すばらしい文章なのだが、
いくつになっても楽にはなれねえんだなあと、しんみりしてしまうのでありました。

はーーーー。それでも季節はめぐってまた春が来ましたよ。ねえ。

『八十二歳の日記』
も読んでみようかね。
by riprigandpanic | 2010-03-17 18:20 | ほんっ


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