写真と屠畜と講演について

先日
井の頭自然文化園でお話させていただきました。
予告に写真と書いてしまったんですが、画像なしで話しました。動物園にいらっしゃる方ということで、考えた末にお話だけにしたのでした。牛の写真もほとんどなかったし。その前の週に動物看護士の方々へお話させていただいた時にはみなさん動物の死に立ち会っていらっしゃる方々でしたので、写真を使ってお話しました。
聴きにいらして下さった皆様、本当にありがとうございました。
たくさん質問して下さって、とてもうれしかったです。

今回、規定時間話し切ってみて、ちょっと混線したものの、 写真なしでも
なんとかなったので、今後すべての講演で写真を出すのをやめる決心がつきました。
実は極度の上がり症のため、これまで写真を出して視線をそらさせないと話が出来なかったんです。だからトークショーもお相手を必要とするわけです。視線が分散されるから。しかしまあ、 なんとか慣れてきましたね。

これまでスライドショーのようにして講演などでお見せしていた写真は、海外の屠畜、の写真でした。日本のような状況ではないのだから出していいのだろうという意見もあります。自分も写真をたくさん見ることが出来る発表の方が見てて楽しいです。

たしかに日本と同じ状況ではない。でも。私の写真はイラスト資料、文章をあとから起こす為のメモ代わりとして撮ると伝えて撮っている写真です。そして一旦スクリーンに写したら、それをデジカメで撮る方もいらっしゃいます。


現在、
田舎の 、「発展途上」の 、「おおらかな価値観」
のもとに暮らしいてると私たちが勝手に考えているというか見くびっている
人たちも、十年前と比べたら、飛躍的に情報入手手段を持つようになっています。もともと以前から、祭りの儀式にしろなににせよ、動物を屠る行為を人前でやること?を野蛮だと思っている人が少なからず存在するということを、彼らは知っていました。そして今は、だんだん、そういう写真がどのように流通して、いかようにでも違うイメージを簡単に付加されてしまうのかも、わかって来ているようなのです。

だって私自身がどこに行ってもネットをつなげられるんだもの。それでコーヒー一杯くらいの、つまり現地の人でも特に高くもない値段で世界にコネクトしてしまう。何気なく撮られた自分の写真と出会う可能性もある。

なんていうことを
『サンパウロへのサウダージ』(クロード・レヴィ=ストロース/今福龍太)にて紹介されている、
『ブラジルへの郷愁』(レヴィ=ストロース)の最後に収められている写真を見て思ったのです。
 写真は、ペルーのアマゾニア低地の、洋装姿のカシナワ族の少年たちがペーパーバックの「悲しき熱帯」を開いて見入っているというもの。今福が推測するに、彼らはおそらく文章を読んでいるのではなく、唯一の写真頁を眺めているだろうと。位置的にも一致する。
 そこには、体中に彩色を施したインディオの姿があるというわけ。研究対象である、竹を編んで出来た小屋で暮らす少年たちが、全然地縁のないインディオの儀式の写真を物珍しそうに眺めている。わー身体にこんなに模様描いてるーへーえ。なんて思っているのか、なんなのかはわからない。私たちが小学生のときに、「世界の人々図鑑」のインディオの暮しの頁を眺めている姿とそんなに変わらないようにも思えたり。
 ものすごく考えさせられる写真でした。


ともあれね、 井の頭自然文化園で
屠る写真を見たくていらした方には、期待を外してしまったかもしれず、申し訳ありません。でも話だけででもその場の雰囲気や臨場感などを伝えられるとも思いますし、先日もそこそこお伝えできたのではないかと思っています。
ええ、まだまだですけど、画像なしでも十分惹き付けられるよう、話芸、上手くなるようにがんばりますのでどうぞよしなに。

あ、今後も講演で自分のイラストを見せることはすると思います。いつも時間がなくてスキャン編集ができないんですよね。すいません。


 講演について書くことは滅多にないのでついでに書きますれば、自分が何を伝えられるのかということは、毎回寿命が縮むくらい考えさせられます。あんまりえらそうなことを云えるような人間ではないことは百も億も承知であり、どんな現場に行っても大概の価値観と状況に一瞬で慣れてしまうためにあれは良くないとか汚いと言い切ることが出来ません。日本と同じだけ水を使って屠畜できる国がどれだけあるというのでしょうか。同じようにこのように考えるべきだと言い切るのも超絶に苦手です。それでも講演をお受けするのは、ひとえに、なかなか見ることが許されない現場を見せていただいた者の義務だと思うからです。
 そこんところ講演依頼をしようなどと思って下さる方にはご了承いただけますと幸いです。それからご依頼は本当にうれしくありがたいと思っているのですが、W某に書かれているように、講演は盛んにやってるわけでは全くありません。ご依頼すべてをお受けできているわけでもありません。出来ればなるべくお応えしたいと思っておりますが、寝込むくらい緊張しなくなったのは本当にごく最近のことなのです。そしていうまでもなく本職の取材と原稿締め切りを優先しています。

もちろんW某が、本人の意思意向快不快とはまったく乖離して編集されるものであることは、たいていの方がご存知であるとは思いますが、たまには念のために。
いちいち抗議すんのも相手にすんのも糞面倒くさいからしてねーだけだっつーの!! 


本人が読むと大変不快で死にたくなる編集です。
by riprigandpanic | 2009-01-25 22:30 | お知らせ


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